
信濃なる 千曲の川の さざれ石(し)も 君し踏みてば 玉と拾はむ
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純真素朴、何とかわいい女心であることか。ここまで慕われるとなれば、男冥利に尽きる。
信濃の千曲河原に転がっている小石であっても、大好きなあなたの足が、じかに踏んだのだと思えばこそ、大事な大事な宝物、宝石として私は拾いますよ。
そう歌うのである。男女の情愛、庶民の恋愛感情がこまやかに、あるいは赤裸々に、多くは民謡風に詠み込まれた東歌の一首だ。そんな東歌だけを230首集めた『万葉集』巻14に登場する。
ところで、ここでいう「千曲」とは、どこの川を指しているのだろうか。もともとの万葉集の表記をたどると、千曲は「知具麻(ちぐま)」と3文字で書かれている。
わが国最古の歌集である万葉集は、長い歳月をかけて編集され、最終的に奈良時代の末に整った。そのころはまだ日本に平仮名も片仮名も誕生していない。
だから大陸から伝わった漢字を活用し、似た発音の言葉に当てはめるほかなかった。いわゆる万葉仮名である。
例えば「知・具・麻」がそうだ。それゆえに、漢字と仮名で日本語を書き表す現在では、本来の表記「知具麻」を「千曲」と書き改めて通用させている。

となればおのずと、千曲の川は佐久平から善光寺平を抜け、新潟県境で信濃川と名の変わる千曲川を思い浮かべるのも無理はない。
ややこしいのは、松本平にも「つかま」「ちくま」と呼ばれる地名があることだ。松本市筑摩(つかま)や東筑摩(ちくま)郡などというときの「筑摩」である。
現に松本市里山辺の薄川沿いには、この東歌を刻んだ立派な歌碑が建てられている。同じく千曲川堤防に設けられた千曲市の万葉公園にも、この歌の碑が一角を占めている。
こっちの川こそ万葉集で歌われた「知具麻」だと、主張し合っているかのごとく見える。それぞれにそれぞれの根拠があってのことだ。
薄川の堤防を歩いてみた。松本市街の東、美ケ原と鉢伏山からの流れは、川底まで澄んでいる。その先、はるか西には、常念岳はじめ北アルプスを遠望できる。いちずな恋心を奏でる舞台にふさわしい。
山梨、埼玉、長野3県の境、甲武信ケ岳の山腹が源流の千曲川は、上田盆地の狭い出口、岩鼻を抜けるや、にわかに広々して流れも緩やかになってくる。
とりわけ千曲市の万葉橋から粟佐橋付近までの川筋には、「千曲の川のさざれ石」をまざまざとさせる光景が、あちこち目につく。
そこだけにとどまらない。長野市内で犀川と合流した千曲川は、一段と川幅を広げる。須坂市との境、屋島橋の周辺もまたさざれ石の水辺だ。
思わず引き寄せられて踏み入った。丸みを帯びた大小無数の石が連なり、川風が枯れ草を揺さぶる。千数百年前の若い男女がささやく声かと錯覚しそうになった。
(2012年1月21日掲載)
=写真=さざれ石が多い屋島橋周辺の千曲川
〔東歌〕東国、つまり都から見て東。ほぼ遠江から陸奥に至る歌である。万葉集の中でも地方色の濃い味わいを持つ。