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09 戸隠街道 誠照講 西光寺跡 〜戸隠の真言系聖地訪ねて〜

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 初冬の戸隠、誠照講(大師堂)から西光寺跡をたどる。12月4日午後、商工会館前でバスを降りる。ここから戸隠神領に入り、中社で「3・11フクシマ」「熊野大洪水」の早期復興を祈願。


 まず真言系の誠照講へ。怪無山(けなしやま)に向かって間もなく「大師堂」と額した小堂が目に入る。ここが誠照講本部で、6代目講長・西太吉さん(63)から詳しい説明を頂く。「戸隠山(とがくしざん)誠照講は江戸末期の設立で、大師信仰の篤(あつ)い西家が四国・室戸岬の第24番札所最御崎寺(ほつみさきじ)より、その名を賜与(しよ)された」


 大師堂は2回の火災後、1986(昭和61)年9月21日に多くの信者の浄財により再建され、前講長の西きみよさん(94)から引き継いだ。毎年4月21日には戸隠豊岡の宝界寺住職を導師として大祭を続けている-と熱っぽく語った。


 本尊弘法大師に対した時、「熊野修験青岸渡寺 平成22年7月吉日」の碑伝(ひで)(修行木札)に思わず目を疑った。旧知の山伏たちが来ているのであり、戸隠と熊野は祈りの空中回廊で結ばれていたのである。


 「南無戸隠大権現・南無熊野三所大権現」

 毎朝の勤行を母子で続けている姿に感動しながら、定宿の宿坊「横倉」で旅装を解いた。


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 翌5日、横倉千早神職(63)から「戸隠信仰は戸隠講の底力によって支えられており、江戸後期には8万2000余の講員を数え、1月4日に発告される『御種兆(おんたねうらかた)』は厚い信頼を受けている。気象・農事の予告がよく当たるからだ。長野市の千歳講は長い歴史を今に続けている」と力のこもる説明を受けた。


 この千歳講は上千歳、南千歳町により明治末年に設立された。講元の内藤由太郎さん(91)は「今年7月、戸隠の久山家で100回目の年参りを盛大に行ったが、今後も講員70名の固い絆を永く紡いでいきたい」と講に寄せる思いを語っていた。


 今もなお人気の杉並木で霊気を心身に受けながら奥社に向かう。一日の無事を戸隠大神に祈願。随神門に戻り、今度は遊歩道を南へ入る。「不動尊・徒歩約60分」の道標に導かれ、木漏れ日の道に錫を引く。尾根に至り、がっしりした木造の遥拝所で一休み。


 西下に広い平地が開け、ここが西光寺跡である。西光寺は真言系山伏の戸隠の拠点で、天台系の3院(現在の奥社、中社、宝光社) と激しく抗争し、約500年前に亡滅した。当時を偲ぶものは何もなく、笹原に冬の風が吹くだけである。


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 獣の気配がする雪道を進むと不動沢で、岩壁には高さ4メートル大の不動明王が刻されており、一心に般若心経と不動真言を奉誦。この像は150年ほど前、川中島の信者が彫り、風雪に耐えながら除魔の霊力を放っている。


 蕭とした沢と風の音を聴きながら、天変地異の激動に明け暮れたこの一年に心を痛めつつ鏡池を経て霊験(れいげん)の地・戸隠を後にした。


 「心に戸隠の霊峰あり、我に希あり」


 次は芋井の隠滝(かくれだき)不動講(不動堂)と雨池観音を訪ねる。

(2012年1月14日号掲載)


=写真1=岩壁に刻された巨大な不動明王

=写真2=誠照講本部の大師堂