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12 結婚 〜兄が紹介した男性と 仲人に憧れの林さん〜

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 1950(昭和25)年は、クラシックバレエに転向した記念すべき年であり、私が結婚した年でもありました。


 夫となる人を紹介してくれたのは、郵政局に勤務し、労働組合運動に熱心で、後に市会議員になった2歳上の貞之兄でした。この兄が、大勢の同僚の中でも特にしっかりした理論の持ち主で、将来有望という男性を連れて来たわけです。


 当時、私は青年団の社会科学研究会に所属しており、公民館に集まっては、男性メンバーに交じって夜中までの話し合いに参加していました。保守的な父にしたらとんでもないことです。夜中に帰宅するのを待ち構えてはポカポカと頭を殴るのですが、やましいところはないという自信がありましたので平気でしたし、周囲には優秀な独身男性が数多く、私にはうれしい毎日でした。


 理路整然でイケメン

 そのころに兄が連れて来た男性は、さすがに理路整然で優秀なだけでなく、すらっと背が高くてイケメンでした。私は昔からイケメンが好きで、今でもリビングルームにはヨンさまのブロマイドを飾り毎日眺めているくらいですから、その男性をすぐに気に入ってしまいました。

 結婚に際し、クラシックバレエへの転向を勧めてくれた恩人の林廣吉さんに仲人になっていただきたくて、お願いに上がりました。林さんという方は、私にしたら、まさに憧れの存在でしたね。戦時下の弾圧で朝日新聞を追われ上海にいらした方ですが、芸術文化への造詣が深く、時代を読む先見性があり、品格を兼ね備えたまさにインテリでした。


 両親に結婚の許可をもらうに当たっても、林さんに間に入っていただきました。長兄の結婚を機に私は若里の家を離れ、貸家にしていた新田町の家をお稽古場兼住居にしていたのですが、父が反対していたために林さんをお連れして父母を説得に行くと、父から反対の言葉が出る余地は全くありませんでした。


 結婚すると女の側の生活が変わるのが一般的でしょうが、私の場合、そういうことはありませんでした。1階をお稽古場に、2階を住居にしていた新田町の家に、夫はわずかな着替えの荷物を持ってきただけでした。結婚式は権堂の料亭で行いましたが、当時のことは全く覚えておりません。


 結婚後もお稽古中心

 私は結婚前同様、バレエのお稽古が中心の生活でした。家事は、お手伝いさんがいたり、アシスタントで行儀見習いも兼ねる女性もいましたから、私がする必要はありませんでした。たまに休みの日に表玄関をお掃除したりしていると、近所の方々が「きょうは珍しいですね」と言って笑っていました。


 ただ、子どもが2人生まれ、食事内容が気になるようになってからは、車の免許を取って自分で買い物に行き、料理もするようになりました。教室の方はクラシックバレエ人気を反映して生徒さんが増え、本格的な発表会も行うようになり、結婚後ますます多忙を極めることになりました。 

(聞き書き・北原広子)

(2012年1月21日号掲載)


=写真=「チャイコフスキー記念 東京バレエ学校」の開校式であいさつする林廣吉さん

 
倉島照代さん