
「須坂に善光寺に匹敵するほどデッカイお寺があるのを知ってますか」と檀家の一人が教えてくれた。
「河東の善光寺」とうたわれたのが大岩山・普願寺(ふがんじ)だ。河東とは、千曲川の東側一帯を指す。松代、若穂、須坂、小布施、中野までを含む地域で、同寺の門徒は長野市内を含め1500戸にも。
「寺域は江戸時代の記録では3000坪(約1万平方メートル)。その後、測量はしていませんが、4000〜5000坪はあるかも」と副住職の業田昭映(なりたしょうえい)さん。善光寺の本堂と山門周辺ぐらいはスッポリ入る広さだ。
春、駐車場のある黒門をくぐると桜の古木が並ぶ花の参道へ。L字形に曲がるとケヤキ造りの巨大な正門に。参拝客が小さく見える豪壮な本堂は18間(約32メートル)×18間もある=写真上。ちなみに善光寺は柱間で正面が7間、側面は16間だ。本堂前左右の赤松は樹齢ざっと300年。一人では抱えきれない太さだ。本堂内部の格天井(ごうてんじょう)には菊の御紋。「かつては天皇家に連なるお姫様が嫁に来ています」。善光寺の大本願と同様だ。

80歳を超える住職の照賢さんは文化活動に熱心で、故植木等さんやさだまさしさんらの催しを毎年開き、昨年は中村美津子さんの演歌を楽しんだ。副住職は雅楽のメンバーで笙(しょう)を担当。法会や結婚式で妙なる音を披露する。
以前、『清貧の思想』の著者・故中野孝次さんを案内した時、中野さんはモダンな圓光寺の太鼓楼(たいころう)=写真下=を車窓から見つけ、「これはしゃれている。何に使ったのか」とお気に入りだった。法会の開始などを太鼓で知らせた寺内(じない)(塔頭(たっちゅう))の広報塔だった。
越後の棟梁が1894(明治27)年に造った不等辺8角形の建築物で、軒裏の木組みや窓の欄間など手の込んだ総ケヤキ造り。棟梁も楽しみながら細工したらしい。

普願寺のルーツは秩父の大岩(埼玉県)で、創建から700年。約450年前に須坂市日滝から移転した際には、寺内に5カ寺を抱える広大な構想だったとか。「寺内とか寺中、塔頭の言葉は格差につながるので慎しんでいます」と昭映副住職。
隣の豪商の館・田中本家が代々、信徒総代を務めている。ぼた石積みの石垣と水路=かえでの小道=をたどれば、数百メートルで遊歩道のある鎌田山へ。須坂市街を一望できるビューサイトだ。豪商の館と古刹に加え、鎌田山には陶芸の日展作家・境信夫さんの窯・ギャラリーもある。
(2012年1月21日号掲載)