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13 発表会 〜最初から毎年実施 大勢の方々の協力で〜

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 クラシックバレエに転向した翌1951(昭和26)年6月、相生座で初めての発表会を行いました。バレエというのは音楽、衣装、舞台装置などを含む総合芸術ですから、舞台でこそ完成美となるわけです。私は最初から、毎年必ず発表会を行おうと思っていました。


 発表会といっても、容易ではありません。しかも私は、創作的なものだけでなく、古典バレエも正しく継承していきたいと思っていましたので。


 当時は今のように世界中のクラシックバレエのDVDやCDなどはない時代でした。音楽に合わせて振りを考えるというスタイルだったので、真っ先に必要になるのが音楽でした。録音も簡単にできないどころか、楽譜の入手さえ困難な時代です。音楽をどう編集するかは、今では想像もできないほどの重大事でした。地方都市で時代の最先端を行く困難さと言っていいかもしれません。


録音機担ぎ東京へ

 その後、ようやくテープレコーダーが開発されましたが、重さは4、5キロもある代物。これを林陽子さんのお姉さんが住む東京へ担いで運び、白鳥の湖第2幕の曲を弾いていただき、録音したものを発表会に使用しました。


 そのころ、小牧バレエ団からの出張レッスンはプリマだった林陽子さんが務めてくださっており、発表会の振り付けも陽子さんが担当してくれました。林家は音楽一家で、陽子さんもその素養の上にバレエを学んだのですが、お姉さんはピアノの道に進んでいました。


 衣装は、私が型紙作りから裁断までした布地をお母さん方に配り、縫っていただきました。舞台の絵は学生さんたちにアルバイトで描いてもらい、パンフレットの表紙絵は弟の保が描きました。慶応義塾大学に進んだ弟は絵も上手で、毎年パンフレットのデザインなどで協力してくれました。


 保は私より5歳下で、きょうだいの中で最も優秀でしたね。弟が長野高校時代、私が家の掃除をしていると、下駄箱から弟の成績表が出てきました。悪かったから隠しておいたのか、見ると60番台。父に「保はこんな成績ですよ、怒ってやってください」と進言したのを覚えています。


 美しい女性たちが持てる身体能力のすべてを生かして表現するバレエは、カメラの被写体や絵のモデルとしてもぴったりで、パンフレット用の撮影などは、一声掛けるとカメラ好きの方が引き受けてくれました。


 舞台裏の大勢の方々の協力もあり、初回の発表会「ウィーンの祭り」は大成功でした。振り付けは林陽子さんの他、並木久子先生にもお願いしました。一流を知らずに良い指導はできませんから、私は何度も東京のバレエ公演を見に行き、そこで並木先生のモダンな振り付けが気に入って依頼しました。レベルの高い発表会を欠かすことなく続けてきたことも長野バレエ団の財産だと思っています。


男に刃物で脅され

 一方、華やかな舞台の裏で、とんでもない事態もありました。上田の発表会のとき、興行はその筋に話を通さなくてはならない、と脅されたのです。突っぱねていましたら、会場に乗り込んで来た男が、対面する私の目前で刃物を出して柱に突き刺しました。


 驚くスタッフや生徒さんに「大丈夫。舞台を続けて」と言い、にらみ合うこと30分。やっと諦めて帰ったので心底ほっとしたのですが、女がトップで仕事をすることの厳しさを思い知らされました。

(聞き書き・北原広子)

(2012年1月28日号掲載)


=写真=第4回発表会の「白鳥の湖」

 
倉島照代さん