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41 「死」とどう向き合うか 13

 山頭火(1882-1940 享年59歳)はよく日記を書いた。その中から-。

 私はただ歩いております、歩く、ただ歩く、歩く事その事が一切を解決してくれるような気がします...とにもかくにも私は歩きます。歩けるだけ歩きます。歩いているうちに、落ち付きましたらば、どこぞ縁のある所で休ませていただきましょう。それまでは野たれ死にをしても、私は一所不在の漂泊をつづけましょう...


 歩くことに、こそ

 山頭火の句から、歩くにかかわっての句を拾ってみる。

・またあふまじき弟にわかれ泥濘(ぬかるみ)ありく

・けふも濡れて知らない道を行く

・今日のうれしさは草鞋のよさは

・山の中鉄鉢(てっぱつ)をたたいて見たりして

・まっすぐな道でさみしい

・分け入っても分け入っても青い山

・あるけばかっこういそげばかっこう

・うしろすがたのしぐれてゆくか

・黙って今日の草鞋をはく

・どうしようもないわたしが歩いてゐる

・このまゝ死んでしまふかも知れない 土に寝る

・鉄鉢の中へも霰(あられ)


 山頭火の日記や句からは「省みて疚(やま)しくない生活/恥じない生活/かげひなたのない生活/雪のやうな、風のやうな、水のやうな生活/何物にも恐れない、誰をも憚らない生活/すなほに、つつましく、あたたかい、やさしい生活」をと願った生き方が、そのまま真っすぐに伝わってくる。偽りが微塵もないのだ。


 自由律であろうがなかろうが、こんな句や日記を読めば、誰だって山頭火を好きにならざるを得ないだろうと思う。俺もそんな旅に出て見たいという衝動にかられる。そして、山路を往く一点景としての自分を、そこに見いだしたりもする。これらの句の中には、句の中を歩いている山頭火と、その山頭火からある距離を置いて、それをじっと見ているもう一人の山頭火の姿がある。かっこうの鳴き声が聞こえる道を歩いている山頭火と、その後姿を見ている山頭火-。米をいただいている鉄鉢の中へ霰が降るというだけでも、素晴らしい感動だが、その「どうしようもない」わたしを見ている山頭火-が、いる。


 コロリ往生

 山頭火は幼年時から、数奇な運命の道を歩み続けてきた。父の放蕩、母の絶望の末の自宅井戸への投身、弟の自殺。名家であった一家の没落などなど。山頭火はそれらを目の当たりにし、その中を彷徨し、自らもまた一所不在、行雲流水、酒に溺れ、破滅ともいえる道へのめりこんでいった。そして水の音を聴きながら、風としぐれのなかを着古した法衣をまとい、網代笠をかぶり、長い杖と鉄鉢を持ち、草鞋を履いて諸国遍歴ののち、四国松山の一草庵において、念願のコロリ往生を遂げるまで、行乞の旅を貫き通したのだった。


 「ポックリ死にたい」ものだという話をよく聞く。稀にその通りの死を迎えた(成し遂げた)という話もあるが、むしろ思うに任せられないのが人の世の常だ。ポックリ寺に通いつめれば(祈れば)願望がかなえられるかも...は


哀しい庶民の心情としてよく分る、のだが-。

 山頭火はポックリでなくコロリと言っているが、本人が切望したとおりの最期であったということを、何よりも山頭火のために喜びたい。天涯孤独、身内や介護する者とてなく、寝たきりになり糞尿まみれになった山頭火など、思ふだに堪えられないことだ。


 山頭火は10月10日の夜、一草庵の隣室で催された句会を珍しく中座して自室に臥せった。死は翌朝の4時ごろと推定されるという。心配して訪れた句友の談によれば、呼べども声はなく、触わると脚はすでに冷たく、腹部はまだ温かかったという。


 山頭火は死ぬ数カ月前、句集『草木塔』を刊行して知友に配っているが、その扉にはこう記している。

若うして死をいそぎたまえる

母上の霊前に

本書を供へまつる


(2012年1月21日号掲載)

(「『死』とどう向き合うか」の項おわり)

 
美しい晩年