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05 〜野尻湖からの取水に成功

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 長野市は明治以来、慢性的な水不足に悩み、水源を戸隠に求めてきましたが、それだけでは足りませんでした。特に飲用水の不足は、人口の集中による都市化に伴い深刻な事態となっていました。そこで市が着目したのが野尻湖の豊富な水でした。


 しかし、野尻湖の水利権は江戸時代以降、何百年間も越後(新潟県)が持っており、決してその権利を譲渡してもらえるようなものではありませんでした。


 松橋市長は1950(昭和25)年11月、岡田新潟県知事を訪ね、上水道計画による野尻湖の引水問題について協力方を要請しました。だが、野尻湖の水利権を持つ新潟県中頸城郡の中江用水組合の態度は強硬で、了解工作は困難なものでした。


 これまで話し合ってきた解決策は-

 (1)野尻湖の水の一部を季節外に長野へ引水することを認める

 (2)その代わり、鳥居川の水を1日だけ野尻湖へ導水する

 (3)そのための工事費は長野側が持つ


というものでしたが、実施段階で新潟側からも長野側の鳥居川流域の住民からも異議が出され、具体化できなかった経緯がありました。


 松橋市長はこの問題を粘り強く追求し、両県の関係者を説得。ようやく51年3月28日、高田市で開かれた両県関係者間の会議で最終的に合意に達し、決着しました。合意事項の内容は次のようでした。

 (1)鳥居川の水を毎秒最大20石(3.6トン)野尻湖に取り入れ、発電と長野市の水道用に利用する

 (2)用水期間中(6月1日〜9月10日)は野尻湖の水を取り入れないこと

 (3)長野市の水道工事は決定しない事項についての部分を除き、工事は再開する


 この計画が完成すると8万人に水道水を供給することができ、市の給水人口は一挙に14万人に膨れ上がることになりました。


 野尻湖取水工事は4年の歳月と2億5000万円を投じて53年3月に完成し、若槻村蚊里田に900トン入りの受水池が出現しました。これはろ過池、滅菌室、配水池からなる立派な浄水場でした。

 この水は往生地の貯水池に揚水されて、一般家庭、その他の水道水として利用されました。

(2月18日号掲載)


写真=完成当時の蚊里田浄水場