記事カテゴリ:

16 ゼロから再出発 〜全てを失った離婚 上京して職を探す〜

16-kurashima-0218.jpg

 いろいろな事情が重なり、15年間の結婚生活を解消することになったのが1965(昭和40)年でした。実際のところ私はバレエと結婚したようなもので、結婚前も後もバレエ中心の生活に大きな変化があったわけではありません。


 暮らしていたのは私の家ですし、家計を支えていたのも私。それどころか、元夫の借金の工面をしたのも私でした。ですから離婚のときも、元夫が子どもを置いて家を出ていくものと軽く考えておりました。


   生徒も引き抜かれ

 でも、とんでもありませんでした。私は離婚によって子どもたちとも別れ、レッスン場を兼ねていた自宅から追い出されるはめになってしまったのです。それまで必死にやってきて、私の人生そのものともいえるバレエ教室からも追い出されてしまいました。150人くらいいた生徒が一斉に引き抜かれ、残ったのは5人だけという事態になってしまったのでした。


 バレエに熱中していて、現実の結婚生活の水面下でいろいろな事が進行していることに気付いていなかった自分に呆然(ぼうぜん)としました。とにかく私は、何もかも失ったのでした。家の名義が変えられ、自分が守るべき倉島家の財産を失ったことについては、今もくやしい思いをしております。


 私どもの離婚については当時ちょっとした話題になり、私が男性と逃げたといううわさを立てられました。巧妙な手段で私が追い出され、今日まで、真実を明らかにできないままだったというのが真相です。


 一方、自分が恵まれた環境に育ち、周囲の支えがあってここまで来たのだということを、きちんと振り返る機会になったことも事実です。逆境で力を発揮した母の姿も思い出されました。ここでへたばったら自分が駄目だということ。ゼロからやってみようと決めるのに時間はかかりませんでした。


 一般に文化芸術というものは、大都会ほど盛んなものです。特にバレエのような総合芸術は東京レベルの質に達するのが非常に難しいことは、最初から覚悟していました。しかし私は負けず嫌いですし、妥協することは絶対に嫌で、長野にいても東京、そして世界で通じるレッスン、公演を行うことを目標にしてきました。


 これまでも人材や技術面で長野では難しいことでしたが、発表会で東京に引けをとらない舞台装置、照明、音楽、衣装、振り付けで頑張ってきましたので、思い切って、離婚後上京しました。しかし、さすがにお稽古場の賃料は高額ですし、知らない土地で簡単に生徒が集まるわけがありません。様子を見るため職を探しました。


  東京ではさんざん

 当時の求人は年齢の上限が38歳というのが多く、私はギリギリ38歳でした。最初に勤めた会社ではいきなりセクハラまがいの対応に腹が立ち、すぐ辞めました。独り身の女がいかに不利な状況にあるかを実感しましたし、後にも知ることになります。


 次の会社では、実績の上がらない営業マンが簡単に解雇されるのを目の当たりにし、人権も労働基準法も無視したやり方に怒りを覚えました。そんな私の心情が伝わったのか、矛先が私に向いたので「労働基準局に訴える」と言いますと、やれるならやってみろという態度でした。


 まさか女一人で実行するとは思わなかったのでしょうが、私はそんな甘い人間ではありません。労働基準局に駆け込み、法に沿った待遇で退職できました。しかし、東京では、さんざんな目に遭いました。

(聞き書き・北原広子)

(2012年2月18日号掲載) 


=写真=再出発を決めたころの私

 
倉島照代さん