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17 松本で教室 〜恩人の大久保さん 蟻ケ崎にレッスン場

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 数カ月の東京暮らしで、私は長野県の良さを発見しました。それは労働環境です。労働組合運動が活発だった当時、社長の一言で即日解雇が簡単に行われるなんて、長野の会社では考えられないことだと思いました。また、お金も土地勘もない東京でのバレエ教室は無理でしたので、引き揚げることにしました。

 引き抜きにあって、生徒が5人になってしまった長野・上田・須坂に戻るわけにはいきませんし、松本でゼロからバレエ教室を始めようと思い、蟻ケ崎地区にアパートを借りました。松本というのは、裕福な層と庶民の住むエリアがくっきりしている街で、バレエをするには前者の地区でなければ生徒は集まりませんが、その点、長野は駅を中心に平均的に広がっていると思いました。

   女学校時代の友に
 松本でお稽古場を探していたところ、街でばったり女学校時代の友人に会いました。この偶然の出会いがなかったら、私のその後は全く違ったものになっていたでしょうし、今日の長野バレエ団があったかどうかも分かりません。

 友人の嫁ぎ先は、大久保さんという、松本では名の知られた有力者だったのです。
 大久保さんの紹介で、駅付近の公民館をレッスン場として借りることができました。宣伝費をかけたくないので口伝えで生徒を募集したところ15人ほど集まり、教室をスタートさせることができました。

 また残っていた5人の生徒を中心に、長野のレッスンも再開しました。会場として南千歳町の公民館を借り、私は松本と長野を常に行き来することになりました。手抜きをしたくない私はギリギリまでレッスンしてから長野駅に駆け込むので電車に遅れそうになり、駅員さんが電車を待たせてくれたことも何度かありました。

 松本ではレッスン場建設のための土地探しも進めました。深志高校の北側にいい場所があり購入したいと思ったのですが、女で、何の取引実績もない私に銀行がお金を貸すわけがありません。ところが、ありがたいことに大久保さんが保証人になってくれたのです。

 それまでも運転資金など、金銭面で大久保さんには大変お世話になっていました。返済期日には長野のレッスンがあっても松本駅からタクシーで大久保さんの家に駆け付け、その日のうち、つまり夜の12時前に必ず返済するようにしていました。

 実はタクシー代も節約したい状況だったのですが、期日の約束を守る方を優先させたわけです。こうした誠意を大久保さんは理解してくれ、信用してくれたのだと思います。
 松本移転から1年もたたない、確か1966(昭和41)年に松本市蟻ケ崎の高級住宅地にレッスン場が完成しました。もう口コミなどと悠長にやっていられませんから、生徒募集のチラシを頼みに印刷会社に行きますと、手付金を要求されました。

  札束取り出し前金
 長野でそんなことを言われた経験は、全くありませんでしたので、全部の資金をカバンに入れて持参。目の前で札束を取り出して前金を支払いました。まだ十分な現金が残っていることを見せて相手を安心させ、後々のお付き合いをスムーズにさせました。とても悲しいことでした。

 このチラシを新聞折り込みするだけでなく、深夜1時ころに自分でポスターを電柱に貼って回りました。屋外広告を規制する条例があり、白昼に貼ることができなかったのです。
(聞き書き・北原広子)
(2012年2月25日号掲載)

 
倉島照代さん