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40 「死」とどう向き合うか12

 明治の作家、国木田独歩には、不透明な晦渋さがない。『武蔵野』『馬上の友』『空知川の岸辺』をあらためて読み返してみても、そこには独歩一流の寂寥感を漂わせながらも、爽涼な澄みきった、石にも染み入るような秋の色が感じられる。


 日が落ちる、野は風が強く吹く、林は鳴る、武蔵野は暮れむとする、寒さが身に沁む、其時は路をいそぎ玉へ、...風が今にも梢から月を吹き落しそうである。突然又た野に出る。君は其時、


 山は暮れ野は黄昏の薄かな (蕪村)

の名句を思ひだすだろう。(『武蔵野』)


 国木田独歩−その波乱の生涯

 独歩の生涯を年譜で追ってみると、わずか38歳という短い歳月の中で住居を変えること10度余。一貫して文学への情熱をたぎらせながらも、生きんがために様々な職に就く。この間、キリスト教に傾倒して、20歳の時、高名な牧師・植村正久によって洗礼を受ける。


 年譜の行間からは、生活にあえぎ、恋に苦しみ、称え、歌い、破れ、悶え、哭いてその生を終え、そこからは呻きにも似た声が聞こえてくる。晩年、病勢が進んでからは、転地療養を繰り返し、最期は神奈川県茅ケ崎の南湖病院で波乱に富んだ生涯を閉じる。


 独歩の『病床録』には、

 余は昨夜飜然として悟れり。曰く生や素より好し、されど死亦悪しからず。疾病は彼岸に到達する段階のみ、順序のみ。又吾生の一有事と稽ふれば、別に煩悶するを要せず。

とあるが、「悟れり、段階のみ、順序のみ、煩悶するを要せず」と言えば言うほど、そうはなれなかったそこに、人間独歩を見、一途な痛いほどに赤裸々な独歩を見る思いがする。

 独歩を想ううとき、悶死ともいえる、自らの生き方に殉じた無骨なまでの純粋さと真正直さに打たれる相馬黒光(夫・愛蔵と共に新宿中村屋を創業。彫刻家・荻原碌のパトロンとして知られる)は独歩を評して「清教徒的な真面目さをもつ」と語っている。


 独歩、病床にさめざめと泣く

 死を前にして、独歩の死との格闘は、すさまじく壮絶というほかはない。晩年、あれほど深い信仰を得たキリスト教に懐疑的になり、その相克に悩む。


 植村正久ら信仰の先達は、独歩に「祈れ!ただ神に祈るように」とすすめる。が、祈りたいけれども祈れないと独歩は苦しむ。一灯園","えん">の西田天香(光明祈願による新生活を提唱。一灯園は天香が創立した修養団体、道場)を招くが、治子夫人は「天香さんがせっかくいろいろ話してくだすったのでありますが、やはり駄目だったようです」と語る。


 独歩の病床に最後まで侍った劇作家・真山青果は「国木田独歩氏の病状を報ずる書」を読売新聞に連載するが、もはや余命なしと悟る死の前日にあって、なお"祈りたいけれども祈れない"と訴える独歩を「この日独歩、病床にさめざめと泣く」と伝える。


 まさに、独歩の生涯はこの「さめざめと泣く」に集約され、凝縮されているといっていい。この"この祈りたいけれども祈れない/さめざめと泣く"の持つ意味と力はまことに重くて深い。自らへの祈りの姿がそこにある。"死とどう向き合うか"その典型的な姿の一つとも言えようか。


 独歩の墓は、東京の青山墓地にある。斜面の狭い墓域にごく普通の墓石が立つ。墓碑銘は独歩の若き日から親交のあった徳富蘇峰の書で「独歩 國木田哲夫之墓」と刻む。法名は「天眞院独歩日哲居士」。


 独歩の『春の鳥』は知的障害の少年六蔵が、城の石垣の上から飛んだ話であるが、母親はわが子の死をかえって幸福だと言い、「何だってお前は鳥の眞似なんぞ為た、いくら白痴でも鳥の眞似をする人がありますかね...」といって泣く。

(2012年1月12日号掲載)

 
美しい晩年