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42 「戒壇めぐり」から思うこと1

 諏訪郡富士見町蔦木(つたき)の三光寺に参禅の折、門前の伝道板に

 

 光から闇に赴く人

 闇から闇に赴く人

 闇から光に赴く人

 光から光に赴く人

     (阿含経)

とあるのを見たことがある。「阿含経」は原始仏教の経典の一つで、釈尊が最初に説いたお経(教え)だという。


 「原始・古代」という時代

 「原始」と言うと生活から考え方まで、全てが未開・未発達の時代のように思われがちであるが、深遠な人生哲学が説かれてもいた。釈迦だからこそと言えばそれまでだが、例えば仏像彫刻などを見ても、後代のそれをはるかに凌駕するものが多い。大学や研究所のない時代、それらは粗末な工房の中でなされた創造活動(思索)の所産であった。


 奈良の古寺巡礼は今日なお盛んであるが、その多くは飛鳥・白鳳・天平時代に憧れ、惹かれ、古代息吹の漂う中での仏像拝観が、主目的だと言ってもよかろうと思う。そこで、原始から続く古代の持つ力に圧倒され、言葉に尽くせない感動の時間を送るのである。


 「お経」とは

 お経というのは平たく言えば、人生の道案内書だ。死者を追慕しその霊を慰めるものも少しはあるが、その多くは鳴り物入りや香煙臭いものではない。瞑想の所産であり、思索に富んだものだ。


 ただ現代人の立場で見る(読む)ときは、利点・長所を語らずして、その欠点・短所?をあげつらうのはいかがなものかということであろうが、いかに言っても難しく、歯が立たないものばかりである。


 よほど勉強したものでないとその哲理はもとより、読むことさえ容易ではないのが実状だ。漢字ずくめだから若干なりとも漢学の素養がなければ、どうにもならないのが普通だと言ってよい。


 ここに掲げた四行詩のような阿含経の一節は、仮名交じり文だからこそ読めもし、意味も察しはつく。説かれなくても訴えてくるものがある。この阿含経の一節と善光寺のお戒壇めぐりを結んで、人の世の誰もが通らざるを(体験せざるを)得ない道筋、来し方行く末を考えてみたい。


 戒壇めぐり

 善光寺の「お戒壇めぐり」は何回となく...という方が大勢おられることであろうが、戒壇の辞書的な解釈はこうだ。

 戒壇は僧尼に戒律を授けるために設けた壇。日本では754(天平勝宝6)年、鑑真和上が東大寺大仏殿前に設けたのが始まりという。戒壇めぐりは、仏堂内陣の縁の下の暗所を巡り歩くこと。善光寺のが名高い。善光寺の場合は本田善光(よしみつ)の像が御座(おわ)します前の東側から階段を下り、真っ暗な板廊下を右回りで、瑠璃壇、本尊の真下を通って入り口の北側に出る。戒壇めぐりの施設は信州では飯田市座光寺の元善光寺にもあり、全国では甲府の甲斐善光寺など、大小合わせれば50カ所は超えるだろうと思う。


 戒壇草履。講中の人々は宿坊で藁草履に履き替えて境内の諸堂を巡拝する。また戒壇めぐりの際は、入り口で新しい草履をいただくと、それを履いて暗所を一巡する。草履は大事に持ち帰って死後納棺の折、それを履かせてもらい西国浄土へ旅立つのだという。「戒壇草履」といわれるゆえんだった。


 鍵。戒壇めぐりの際、暗所の板壁を伝って歩くと、中ほどで大きな鍵に触れる。法悦境の極まるときだ。昔の人たちは、そこにしゃがみこんで、両手でしっかりとつかみ、肩を震わせて泣いたというのである。


 自らへの戒律

 「戒律」とは出家者・在家者の守るべき生活規範のことである。修行者にのみ言う言葉のように聞こえるが、事実は自らに戒律を課すとまではいかぬまでも、実は誰もが体験し、それがあったからこそ今日の自分があるのだと思う。


 挫折に打ちひしがれ、自らを叱咤して立ち上がろうとしたときのことなど、まさにそれだ。以下、阿含経に照らして、光の世界から闇の世界に踏み迷うところから考えてみよう。

(2012年2月4日号掲載)

 
美しい晩年