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01  〜昭和30年代前半市政担う〜

 【くらしま・いたる】

 (1901〜93)

 倉島至は1901(明治34)年6月19日生まれ。19(大正8)年、長野中学を卒業、22年松本高校から東京帝国大学法学部法律科へ進み、25年3月卒業した。47(昭和22)年から4年間長野市助役を務めた後、県地労委事務局長となり、54年12月の市長選に打って出て当選。4年後に再選され、任期満了まで市政を執行する。


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 昭和30年代に入ると、市内も活気づき、57(昭和32)年4月、市制60周年記念式典が倉島市長の手によって行われた。59年には米国フロリダ州のクリアウォーター市と姉妹提携した他、下水道が完成。近代的都市機能が次第に整備される。61年4月には待望の市民会館が完成。半年間、長野産業文化博覧会が開かれた。千曲川沿岸ベルト地帯の工業開発も進み、62年に「交通安全都市宣言」が発せられた。


 こうした動きと並行して、大長野市建設のため合併問題が再燃した。他町村から合併の働き掛けがあり、62年9月定例市議会は、合併対策機関の設置を決め、翌10月、合併審議委員会が設けられた。これが倉島市長の最後の仕事であった。(『日本の歴代市長第2巻』より)


 倉島市長在任中の主要な出来事を列挙すると次のようです。

 ◇1954年

 12月12日 長野市長に倉島至が当選・就任

 

◇55年

 6月 善光寺川中島平農業水利改良事業の通水式

 7月 長野市育成会連絡協議会結成

 12月10日 長野市区長会が城山館で発会式


 ◇56年 

 4月15日 市報を「広報ながの」と改称する

 8月 倉島市長が米国務省文化交流計画に招待される


 ◇57年

 1月 川合新田汚水処理場完工式

 2月 市議会が市制60周年記念事業として、市民会館の建設を議決

 4月30日 市制施行60周年記念式典に併せ長野市歌を制定

 11月26日 ふん尿浄化槽が川合新田地籍に完成


 ◇58年

 7月22〜24日 長野夏まつりを全市に発展させる

 11月30日 長野市長に倉島至が再選される


 ◇59年

 1月19日 米国クリアウォーター市議会が、長野市を姉妹都市にすることを議決

 9月20日 市が善光寺裏山の観光地化を計画


 ◇60年

 4月16日 市民会館の起工式を行う

 10月13日 「善光寺ロープウェイ」起工式が行われる


 ◇61年

 4月1日〜6月21日  長野産業文化博覧会を開催

 4月8日 市民会館の開館式を行う

 5月13日 善光寺平用水裾花頭首工改良工事の着工式


 ◇62年

 10月 長野市が広域都市設置を目指し近隣市町村に合併を呼び掛ける

 11月18日 県庁移転反対同盟が長野市に結成される

(2012年3月10日号掲載)


=写真=倉島至の肖像(長野市蔵)