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02 〜革新陣営バックに現職破る〜

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 1954(昭和29)年12月12日に行われた長野市長選挙は即日開票の結果、前県地労委事務局長の倉島至が現職の松橋久左衛門を破り当選しました。


 当選 3万5583票 倉島至 無所属・新

 次点 3万427票 松橋久左衛門 無所属・現


 激戦の末に新市長は倉島に決し、革新陣営をバックとする倉島が8年間にわたった"松橋市政"を打倒したことは、長野市でも革新陣営の組織力が著しく伸長したことを示す結果となりました。


 倉島の勝利は革新陣営の「市役所を市民の手に」の合言葉の上に乗ったものだけに、その後の倉島市政がどのような方向をたどるか。官僚出身の倉島が松橋前市長の下で助役1期を務めた経験を生かし、どのように調整していくかが市政の課題とも言えました。


 倉島は当選の夜、次のように抱負を語りました。

 「われ勝てり! きょうはわが生涯の最良の日であるが、この感激は私一人のものではない。共に苦難を乗り越えて戦ってくれた同志と熱心に支持してくださった市民大衆、勤労者、農民、商人全ての人に心から感謝をささげたい。しかし票の半分は松橋さんを支持した事実を十分考慮して、今後の市政運営を進めたい。


 15万市民の台所を預かる市の責任者として、第一に私の考えることは市政の刷新であり、その民主化・明朗化である。毎日の市政は、最大多数市民の幸福を守り平和な生活、明るい生活を築くために奉仕すべきものである。市役所は市民のものであり、市長は市民の公僕である。市政の処理はガラス張りの中で行われなければならない。市長の職務の執行も、毎日の窓口業務も、謙虚に、忠実に、市民の生活を擁護するものでなければならない。


 第二に考えたいことは、新しい角度から検討された大長野市の建設である。合併の公約は新理事者として誠実に実行する。旧市の繁栄と新市の発展は、あくまでその自主性と伝統を尊重して、無理のない有機的な融和を図らねばならないが、こうした意味からも現地の要望は、直接きたんなく聞かせていただきたい」

(54年12月13日の信濃毎日新聞記事から)

(2012年3月17日号掲載)


=写真=林知事と勝利の握手を交わす倉島