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18 松本での試練 〜地域紙に「悪徳教師」 嫌がらせに負けず〜

 松本にお稽古場を建築し軌道に乗ってきたころ、地域の新聞に「悪徳教師」と名指しで特集記事を書かれるという試練がありました。女が一人でやっていることの弱味に付け込まれたのか、ちょっとびっくりする出来事でした。

 

 発表会は後援会の保護者にお手伝いいただくことがたくさんあり、後援会長以下、組織としてしっかり子どもたちのために協力できるかどうかは教室運営をも左右するほど重要なことです。

 

 保護者といっても実質的にはお母さま方ですから、総会に集まるのも女性ばかり。その中にたまに男性が交じっていると会長に選ばれやすいんですね。ちょうどその年の総会には男性が一人いて会長に選出されました。社会的に信用のある職業の方ですし、私は何の疑問も抱かず「次は長野市に教室を建てたい」といった抱負を述べたことを覚えています。それでお金があると思われたのでしょう。

 

 後援会長の男性が

 しばらくしてその会長が、私文書偽造罪とかで訴えると言ってきました。多くの組織がそうだと思いますが、実際には事務局が作成した文書を、会長名で会長印を押して出しますね。私もそのようにして会長名で文書を出したのが、犯罪に当たるというわけです。地元の保護者の方々からは「謝罪金を払って穏便に済ませた方がいい」と説得されましたが、悪いことをしたわけではないし、無視していました。

 

 すると地域の新聞に「悪徳教師、倉島照代」と名指しで特集記事が掲載され、学校でも配布されてしまいました。教室の前に黒い背広姿の男性が何人か姿を見せるようになり、こちらは女一人ですからさすがに恐怖を感じました。生徒さんは目に見えて減少しました。

 

 その時に守ってくれたのは、東京電力の転勤族など、地元のしがらみがなく理屈が通じる方々でした。私の教室周辺を見守ってくれ、その後援会長に呼びつけられた時にもこの皆さんが同行してくれたのです。2、3人で行きましたら、日本刀を畳に突き立て「謝罪金を出せ」と脅されましたが毅然として拒否しました。

 

 すると今度は裁判所に訴えられてしまいました。示談を提案され、「お子さんにトウシューズを差し上げて、謝ったらどうですか」と言われましたが、筋の通らないことに応じるつもりはない私が拒否しますと、結局うやむやになってしまいました。あの時、身をもって守ってくださった皆さんには今もなお感謝しています。

 

  やりにくかった松本

 これは一例ですが、松本では何となくやりにくさを感じました。やはり本拠地は長野市にしたいという思いが強くなり、長野高校近くにお稽古場を作りました。1971(昭和46)年でした。

 

 このころから教え子を積極的にコンクールに参加させるようになり、次々と上位入賞者を輩出するものですから、指導者として私も注目を浴びるようになるのですが、その背景には猛烈な練習がありました。指導する私にはバレエ以外の生活はないに等しく、お盆の2日間と大みそかと元日以外は日曜も祝休日もなく、ひたすら毎日レッスンに励みました。自宅のレッスン場なしに、こんな激しい練習ができるはずはありません。

(聞き書き・北原広子)

2012年3月3日号掲載)

 

=写真=蟻ケ崎に建てた松本教室

 
倉島照代さん