記事カテゴリ:

21 教え子たち(中) 〜ローザンヌに初参加 根性の佐藤明美さん〜

21-kurashima-0324.jpg

 今年のローザンヌ国際バレエコンクールで日本の高校生が1位になったことが大きく報道され、バレエに興味を持たれた方も多かったと思います。このコンクールは、将来性のある若いダンサーの発掘を目的にスイスのローザンヌで開催され、今年は40周年記念大会でした。


 10年ほど前までは、私もローザンヌに毎年通っていました。3年連続でロシアのバレエを見学した後の1974(昭和49)年、47歳の時にイギリス、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギー、ハンガリー、オーストリアの7カ国のバレエ事情を視察するツアーに参加しました。それ以来、頻繁にヨーロッパに行くようになりました。


  抜群だった熊川さん 

 見学したバレエ学校で「皆さんの学校からも生徒さんを送ってください」と気軽に言われ、すてきな学校だったので好感を持って「何人受け入れますか」と尋ねましたら「10人」と涼しい顔。世界中から500人も600人も希望者があるのですから、一同絶句してしまったこともありました。


 ローザンヌのコンクールに合わせたツアーも組まれるようになりました。このコンクールはニューヨークと東京に出張して開催されたこともあり、私は両方とも見ています。1989(平成元)年の東京開催では、現在最も活躍しているダンサーの熊川哲也さんが16歳でゴールド・メダルを受賞されています。受賞者選考では審査員の間でもめたりバランスを取ったりするものですが、熊川さんは誰もが認める抜群の才能でした。また宮内真理子さんもこの時にスカラシップ賞を受賞しています。


 長野バレエ団は何人もの受賞者を輩出してきましたが、ローザンヌの初の参加者は佐藤明美さんで86(昭和61)年でした。彼女については忘れられない思い出があります。トウシューズを履けるようになって間もない小学校低学年のころ、発表会に備えて爪先で回転しながら進む「シェネ」の練習をしていました。これは爪先が痛くてつらいんです。私はいつも「痛いのはお稽古が足りないからよ」と厳しくレッスンしておりました。特に佐藤さんは見込みがあったものですから、一層熱が入りました。


 何度も何度も挑戦し、レッスン場の端から端までシェネをやり遂げることができた時は、当人も見ている人たちも私も泣いてしまいました。上手になる子たちというのは、ど根性の持ち主ばかりです。


 ローザンヌのコンクールは、期間が1週間と長いのが特徴です。予選のたびに振り落とされて人数が減り、準決勝で初めて衣装を着けて踊れます。世界各国から150人くらい集まる中で準決勝まで来ることは、それだけで素晴らしい成績だといえます。


  2人が上位入賞

 佐藤さんはコンクールの日程中も階段をはって上るような足の痛みに、座薬を使いながら耐えて予選を勝ち抜き、7、8人で競う決勝まで進み「パリ舞踊財団賞」を受賞しました。この賞はパリの財団からお金が出るのに、外国人に与えるのかという議論が起き、確か佐藤さんの後からはフランス人限定になったと思います。


 この年のもう1人の参加者の高橋有里(あり)さんも準決勝まで進みました。同じバレエ団から2人も上位に入るのは珍しいのではないでしょうか。


 数年後、ローザンヌの町を歩いていたら、佐藤さんがコンクールで踊った時の写真をウインドーに飾っているお店があり、感激したことを覚えています。

(聞き書き・北原広子)

(2012年3月24日号掲載)


=写真=ローザンヌ国際バレエコンクールで受賞した佐藤明美さん

 
倉島照代さん