
善光寺の北方、箱清水の市道を駆け上がって行くと間もなく雲上殿だ。さらに進むと、北信の山並みと長野市街地が一望できる絶景ポイントを横目に地附山公園に至る。
1985(昭和60)年に発生した地滑り跡地を整備し公園にしたもので、園内にはローラー滑り台、アスレチックなどがあり、子どもたちでにぎわっている。また、地滑り観測センターでは、地滑りのメカニズム、防災工事の概要などの説明を聞くことができる。
地附山一帯には周遊コース、城跡コースなどトレッキングコースが巡っており、公園北口から城跡を目指す。途中、古墳群を経て城跡までは約30分。地附山山頂から北東に延びる尾根筋の小峰に主郭があり、広葉樹と松林に覆われ、下方には複数の曲輪跡と堀切、縦横に延びた土塁の遺構が認められる。
近年、市教育委員会が城跡の整備を行い、標識類も設置されている。同城は中世の山城で、枡(ます)形状の構造を持つ城跡は防護機能が特に発達していたという。戦国期には葛山城主の落合備中の属城であったと記されているので、落合氏が築城したものと思われるが、詳細については不明である。
1557(弘治3)年、葛山城が武田軍に攻められて落合氏は滅んだが、そのとき枡形城も落城したと伝えられる。同城跡は市街地からは確認できない奥地に立地しているため、善光寺平を取り巻く山容や市街地などの眺望は望めない。近くの霊山寺には、川中島合戦の戦死者の遺骨を埋葬したという首塚がある。
この地は上杉方が討ち取った武田方武将の首実検をした場所であることが判明し、大正年間に塚を築いて慰霊したという。霊山寺の境内から大峰山に通ずる登山道があり、中腹の「謙信物見の岩」の上からは眺望抜群の絶景を楽しむことができる。同寺からは15分程度。上杉軍が物見をしたという戦国ロマンに満ちたスポットでもある。
(2012年3月24日号掲載)
=写真=枡形城の縄張図