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44 「戒壇めぐり」から思うこと3

 〈承前〉私はいま、善光寺のお戒壇めぐりの闇から闇への真っただ中にいる。


 以下は草鞋に菅笠、どこへ行くにもひと足ひと足、大きな風呂敷包みを背負い、「お伊勢さま、善光寺さま」を称え、あの世での平安を信じ...そんな歩く宗教、精神風土の時代に思いを馳せてのものだ。


  遥々と来つるものかな

 漆黒の闇の中を手探りで板壁伝いに、足元を確かめながら半足ずつ進む。少しでも歩を進めようとすると、すぐ前の人の踵を踏んだり、肩を押したりするようになるからだ。真新しい草履の感触が素足に心地よい。


 私は遠く美作の国(岡山県)の津山の在からやってきた。女3人、男2人のよくよく知り合ったふるさとの仲間たちだ。津山の町の目抜き通りには「善光寺へ百五十五里」という立派な道しるべが立っている。善光寺への道しるべは全国に何百ともなくあるそうだが、その中でこの津山のものは最も遠隔の地にあるものだという。


 そして私はいま、念願かなって善光寺までたどり着いた。野越え山越え、百五十五里(約620キロ)もある遠い道程を、仲間たちと励まし合いながら、また道中、大勢の方々からご親切をいただきながら、やってきたのだ。


路銀はおばばからのいただきもの

 ここで津山からの一行に代わって、どんなふうにして路銀(旅用の金、旅費)を工面してきたのか、どんなふうにして国元を出てきたのか、旅装束は、そしてどんな思いをして、途中どんなことがあって善光寺までたどり着いたのか、そんなことのあらましについて述べてみたい。


 昔の旅はこんなふうだったと知ってもらいたいし、後代への参考にしていただけると思うからだ。歩く宗教の時代は日本人本来の姿を知る絶好の歴史遺産であり、日本の原初風景そのものだとも言えるだろう。


 私が路銀にさしたる不安もなくこうして来られたのは、おばばのおかげだ。それはおばばが善光寺詣りを生涯の頼みとして、若い時から小銭を大事に大事に貯めて、のの様の引き出しに入れてあったものを元手にしてのものだったからである。68歳の私も今まで小銭を大事にためて、それを足し前にしてやっと旅に出られるようになったのだ。


 おばばは決して生活にゆとりなどあったはずはなく、働きづめに働いてやっと行かれるようになった時には、おじじが中風になり、その介護に明け暮れた。そのうえ飢饉や大水の災害もあって、ついに志を果たすことはできなかったのだ。お金は胴巻きに小分けにしてなくさないようにしっかり縫い付け、小出しに使うことにした。


あれもしたい これもしたい

 道中にかかるお金は宿賃のほかに、橋銭(渡橋料)もあれば渡し場での船賃もある。お札もいただきたいし、お賽銭もあげたい。お土産のことも考えておかねばならない。道中たまには団子やとろろ汁、そばも食べてみたい。いい匂いが漂ってくれば、とても素通りというわけにはいかないだろうと思う。おやきや五平餅の話も聞いている。


 京都では清水寺や加茂神社などの社寺巡りもだが、かなうならば歌舞伎というものも観てみたい。比叡山や高野山、できたらお伊勢さまにもお詣りしたいのだが、これはとても無理だろうなと思う。


 でもせめて往復同じ道を歩くのではなく、帰りには名古屋に寄り道して熱田さまや津島さま(疫病除けの守護神、愛知県津島市)に、伊賀越えをして奈良に出て大仏さまや春日さまにもお詣りしたい。その足で生駒山地の暗峠を越えて大阪へ。それからは船で瀬戸内海を渡って播州赤穂へ。四十七士の遺跡、閑谷学校(岡山藩の郷学)を見学してふるさと津山へ。


 二度とはない、この一生だ。どこへ立ち寄ってもみんなお金はかかるのだが、この機会を何とかして生かしたい。昔はどの地方から善光寺を目指しても、多かれ少なかれみんなそんなふうだったのだろうと思う。次回は旅装束について。

(2012年3月3日号掲載)

 
美しい晩年