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03 〜市民会館の建設に着手

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 倉島市長は初当選後、ラジオ放送のインタビューで「市長になってすぐやりたいことは何ですか」という記者の質問に対して、「何としてもすぐやらねばならないことは、市民会館の建設です」と答えています。


 これは市長の公約にもなっていました。当時、長野市には大規模な集会や音楽、芸能活動などの発表の場がなく、せっかくその機会があってもよそへ持っていかれてしまうのが実情でした。

 市民会館建設の経過は次のようです。


 (1)1957年2月市議会で、市制60周年記念事業として市民会館建設を決定(予定地は緑町の市有地)

 (2)同年中に権堂や城山地区から誘致運動が起きる

 (3)59年7月市議会で次のことが決まる

 ・緑町の市有地に市民会館と市庁舎を建設する(市民会館を先に)

 ・61年の善光寺御開帳に完成を間に合わせる

 (4)設計者は佐藤武夫氏(1899〜1972)=日本建築学会長を務め、早稲田大学大隈講堂などを共同設計した業績のある建築家

 (5)建築請負業者は熊谷組(総工費1億8000万円)

 ・資金調達は市・借入金・寄付金から

 (6)60年4月16日に起工式

 (7)61年4月8日に開館式

 (8)施設規模など

 ・鉄筋コンクリート4階建て、延べ床面積約5100平方メートル

 ・舞台は間口20メートル、奥行き14・4メートル

 ・大ホールは固定席1750席、補助席500席

 ・自家発電設備・暖房換気設備付き

 ・完全防音装置・音響効果は最高水準

 (9)佐藤武夫氏設計の長野市民会館は63年に日本建築業協会賞を受賞した。


 県内の市民会館の建設順位では長野市は松本市、岡谷市に次いで3番目。大きさは県下一でしたが。


 初年度の利用は431件で、全国農業協同組合大会、お年玉付き年賀はがき抽選会などの大会や有名歌手(美空ひばり、石原裕次郎、北島三郎、島倉千代子ら)の出演、各種の演芸会、講演会、式典などに活用されました。


 また、本庁舎に隣接した場所にあり管理面でも好都合で、市民の教育文化活動に効果的であるといわれていました。


 市民会館の建設に着目した倉島市長の叡智の程がうかがわれます。

 (元『長野市誌』近現代史部会長)

(2012年4月14日号掲載)


写真=1961年に完成した当時の長野市民会館