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007 落ち合う雪解川 ~命の鼓動をまざまざと~

 よろこびに合へり雪解の犀・千曲

 雪解犀川・千曲の静にたぎち入る  橋本多佳子

      ◇

 長野市の東の外れと須坂市の西南部を結ぶ屋島橋。その上流で千曲川と犀川は合流する。二つの大河が、まさしく落ち合う場所だ。


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 そこに架かる橋は、ずばり「落合橋」と名付けられている。下手に備わる歩道から見下ろせば右手に千曲川、左手に犀川が、青々と大きな帯をなして流れ下っていく。


 二つの流れの間には枯れ草や低木の雑然とした砂地が挟まっている。それが細長い半島のように下流へ延びる。


 その先端で千曲川と犀川が出合っているはずだ。雪解けで水量も増しつつある。「よろこびに合へり...」と一句に詠まれた情景を見たい。目で確かめたい。そんな思いに駆られた。


 まず、長野市街地寄りの左岸を屋島橋からさかのぼってみた。思いのほか河原が広くて見通せない。落合橋では犀川と千曲川それぞれの真上に立つことはできても、合流点はまだ下流だ。


 今度はぐるりと、若穂側の右岸に回る。ほとんど河原がなく、川辺まで近づくことができた。だが、ハリエンジュやオニグルミの木立が邪魔をし、雪解川の喜び合う様子ははっきりしない。


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 2日後、地図を片手にもう少し下流へ出直した。河川敷に広がる畑地の農道を突っ切っていく。川岸にはアレチウリの枯れ草がびっしり、まるでマットのように覆っている。その上を歩き、川岸にたどり着いた。


 見える! くさび型に突き出た砂地の先端が見える! その砂地の向こう側から犀川の太い流れが、先端をかすめつつ手前の千曲川に押し寄せてくる。


 千曲川と並行しているのではない。あたかも千曲川の流れを乗り越えるかのように、広い川幅いっぱい斜めに横断し、こちらの岸にぶつかっているではないか。


 乗り越え、ぶつかり、千曲の水に覆いかぶさり、渦を巻く。泡立てながら激しく岸辺を洗う。「ガボッ ガボッ」と野太い水音が響いてくる。


 まさしく「よろこびに合へり」の表現通りだ。ぴったり符合する。「雪解犀川・千曲の静にたぎち入る」をまざまざとさせる光景に息をのんだ。


 1899(明治32)年1月15日、橋本多佳子は東京・本郷に生まれた。18歳で大阪・船場の商家の次男、実業家・橋本豊次郎と結婚する。その理解と協力の下、俳句の世界に開眼していった。


 しかし、38歳の秋に夫は急死し、娘4人が残された。それからは自立の道へ懸命に生き、ひたすら句作に打ち込む。


 やがて中村汀女、星野立子、三橋鷹女と並ぶ昭和の代表的女性俳人の一角を占めるまでになった。4人のイニシャルから「四T」と称えられた一人でもある。


 とりわけ亡夫を恋う情念の激しさ、情感の豊かさが際立つ。「月光にいのち死にゆく人と寝る」の句のごとく、命の鼓動にこだわり続けた。

 雪解けの川に生命力の躍動を見たのも、底流は共通している。1956(昭和31)年5月、属する俳句結社の大会で長野を訪れた折に詠んでいる。

 野尻湖の別荘に滞在したこともあり、信州に題材を得た作品は数多い。第2句集を『信濃』と名付けたほどだ。


〔千曲川と犀川〕犀川は千曲川の支流なのに長さ、流域面積ともに本流を上回る。水の流出量では2倍にもなる。(2012年4月7日号掲載)


=写真=落合橋下流で千曲川(手前)に入り込む犀川

 
愛と感動の信濃路詩紀行