春が来た
高野辰之作詞
岡野貞一作曲
一、春が来た 春が来た
どこに来た
山に来た 里に来た 野にも来た
二、花が咲く 花が咲く
どこに咲く
山に咲く 里に咲く 野にも咲く
三、鳥が鳴く 鳥が鳴く
どこで鳴く
山で鳴く 里で鳴く 野でも鳴く
◇

万物よみがえる季節の訪れ-。その喜びはいつの世でも、どこの地方でも変わりがない。
1000年以上も昔の万葉人は、ほとばしる滝のほとりにワラビが萌え出たのを目にし、感激の歌を詠んだ。
石走(いわばし)る垂水(たるみ)の上のさわらびの萌え出(い)づる春になりにけるかも
南北に長い日本列島だ。南の島が初夏の陽気で汗ばむころ、北の雪国ではようやく黒い土が顔をのぞかせたりする。
4月末から5月初めの連休中、北信五岳の一つ斑尾山(1382メートル)の周辺を、毎年一度は歩いている。ブナが芽吹き始めた林の中は、分厚い雪も硬く締まっていて歩きやすい。
まだ一面の雪なのに、樹木の根元だけは、すり鉢状にくぼんでいる。「根開き」とか「根明け」「根周り穴」などと呼ばれる現象だ。
近づいてのぞき込めば、中は幹を囲んでササや落ち葉である。緑濃いユキツバキの葉が日光を照り返し、赤い花を咲かせていることもある。
遅い春の到来を実感させる感動の一瞬だ。日差しが幹に反射して放つ放射熱や、温められた幹そのものの熱が、冬の間がっちり取り巻いていた雪を解かすのだ。
それを幹回りに伝い落ちる雨、あるいは流れ込む南風が手伝う。山の奥深く春がたどり着いた証しである。
その斑尾山の南東側に開けた中野市永江(旧下水内郡永江村)で高野辰之は生まれ育った。より雪深い飯山市や栄村ほどではないにしても、同じく一冬を雪に閉ざされて過ごす。
だからこそ唱歌「春が来た」は、人々の気持ちを高揚させる活力と生気にあふれている。いつの間にか誘われるように歌いたくなり、歌いながら浮き浮きした気分に包まれてくる。
「春が来た」は1912(明治45)年3月、子どもたちの教科書『尋常小学唱歌第三学年用』に掲載された。全部で20曲の中の一つだった。
当時は「文部省唱歌」というだけで、作詞者高野、作曲者岡野の名は表に出ていない。「春の小川」「紅葉」「故郷」などを含め、二人の名コンビが広く知られたのは、戦後の昭和20年代になってのことだ。

今日まで100年間、時代を超えて愛唱され続けてきた。それは何よりも、山に、里に、野にと繰り返す詞が、易しく分かりよいからだろう。
加えて歌う人それぞれの想像力をかきたてるからではないだろうか。山に咲く花はコブシかもしれない。里で鳴く鳥は、ウグイスでもいいし、ヒバリでもいい。
斑尾山の麓ではオオルリが、濃い青色の羽を輝かせて鳴いている。カタクリやキクザキイチゲが咲き群れている。長い間じっと耐えた分、春は一気に爆発させてやってくるのだ。
〔文部省唱歌〕高遠出身の伊沢修二が米国に学んで唱歌を導入。1911年から刊行された尋常小学校用教科書に高野辰之らが1学年20曲ずつ全120曲を作詞作曲し、掲載された。信州コンビの活躍が光る。
(2012年4月21日号掲載)
=写真=斑尾山の麓のブナの根開き