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12 荒倉山 〜復活した古道で砂鉢山へ

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 寒冬の3月15日、荒倉山を戸隠側から巡る。荒倉山は北から霧見岳、砂鉢山、新倉山と連なる3山の総称で、謡曲「紅葉狩」のロマンで名高い。鬼無里行きのバスを鬼女紅葉の伝説の地・追通(おっかよう)で降りて北上し、御厨神明宮で「3・11フクシマ」の復興と一日の無事を祈願。


 きょうは復活した奈良沢古道を歩き、田頭地区から地蔵峠を経て、主峰・砂鉢山(1432メートル)を目指す。この山は山頂がくぼんだ鉢状のためその名があり、1874(明治7)年の長野県町村誌に「登路一条あり、本村(戸隠村)字栃原より上る」と記されている。


 この荒倉キャンプ場からのルートに加え、2009(平成21)年夏、往昔のルートが東麓・旧西条村の有志により復活された。尾倉沢川沿いに北上を続け、巌窟観音堂の入り口を過ぎると、新しい「尾倉沢林道入口西条区」の道標=写真下=のお出迎えである。


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 道標に従って上り、一の川橋で一息。ここからいよいよ山道で気合いを入れて出発。深い残雪に足を奪われ、あちこちにある熊やイノシシなどの生々しい動きの痕瞠目しながらの苦行が続く。


 高さ9メートル、幅25メートルの屏風岩を過ぎ、一杯水で小休止。怯む気を頭上の蒼天に励まされ、「ザクッ、ザクッ」と単調な歩みを重ねる。雪原に出て一安堵。ここから地蔵峠までは1.5キロの道程で大休止。南の展望を楽しみながらのアンパンは旨い。

 切り通しの掘割の石を抜け、雪坊主になった巨岩・五ツ岩を仰ぎ、急な雪道をひたすら無心に登るといよいよ地蔵峠だ。ここは砂鉢山と新倉山の鞍部で一の川橋から2.5キロ、標高1240メートルの平地である。昭和30年代まで鬼無里との行き来が続いた道の峠で、かつては石地蔵が立ち並んでいたことから、その名がある。


 鬼無里側から吹き上がる寒風を受けての昼餉。展望の効かない雪のカラマツ林にたたずみ、想いを東麓の里に馳せる。


 旧西条村には江戸時代から明治初期にかけ山伏が居を構え、砂鉢山で雨乞いの祈願を続けていた。山頂の石祠には、その一人●山西海(げつざんさいかい)行者(●=月へんに山)が1857(安政4)年に奉祀され、里人の篤い信仰を受けていた。


 山頂までは200メートルの標高差、700メートルの急登である。深い残雪と折からの雪崩警報を案じ、元へ戻ることにした。石祠に向かい遥拝。


 〈残雪や ごうごうと吹く松の風〉 鬼城


 麓の田頭生活センターで、尾倉沢古道の会の山口孝勇会長(71)、田畑邦昭事務局長(70)からルート復活について丁寧な説明を頂く。2人は老顔を輝かせ「砂鉢山への信仰と幼時の原風景を悠久に伝えたいという同志の熱意と県の支援により古道復活に着手した。2009年7月3日、開通記念の第1回登山会を行った日の感激は忘れることができない。毎年6月と10月に登山会を続けているが、今後は鬼無里側と連携を深め、荒倉山全体の復活に取り組み、次の世代に引き継いでいきたい」と熱き想いを語った。


 私は「物の興廃は必ず人に由る」との空海の言葉を心に繰り返しながら、大昌寺への道を下った。「南無大師 遍照金剛」。

 次は戸隠の奈良尾奥の院を訪ねる。

(2012年4月14日号掲載)


写真=残雪の荒倉山(左から2番目のピークが砂鉢山)