
「如来さんの奥殿には、どう行ったらええですか」
「戸隠の奥社のことですか?」
「善光寺さんの奥殿ですがな」
善光寺本堂の境内で遠来の参拝者から尋ねられ驚いた。「えー! 善光寺に奥殿なんかあったかな」。もう30年以上も前、子どもの七五三に付き合った時のことだ。

子どものころから、奥殿の話は聞いたことがない。だが、善光寺信仰をよく知る関西の信者には常識らしい。
「如来さんの奥の院」とは、善光寺本堂の真北、地附山の中腹にある駒形嶽駒弓(こまがたけこまゆみ)神社だという。善光寺創建(7世紀後半)よりずーっと古い産土神(うぶすながみ=この土地一帯の守り神)だ。
なぜ、仏さんが神社の奥殿を持つのか? それがよく分からない。日本はもともと素朴な神を信仰する国だった。ところが渡来人が数百年がかりで仏教という文化をもたらした。素朴な民間信仰よりカッコいいので、だんだん優勢になって全国に広まった。善光寺も典型的な例-と宗教学者は解説する。
仏教は在来信仰を上手に吸収していった。「神仏融合」である。他国・他所からやってきた仏教が、地元の神さんを手なずけて子分・配下にしていったということらしい。
年越しの夜、如来さんはこの神社の駒に乗って市中を巡行される。2月1日には神社境内で善光寺の注連縄を焼く「お駒返し」が行われる。このため駒弓神社には、彩色された木馬が4頭(1頭は盗難)安置されている。

本堂から参拝に出向くには、城山団地内の古道を経て、山麓の滝地区から急坂を上る。由緒ある辻々では、黒御影石の立派な道標が案内してくれる。展望道路を横切り、上り詰めれば参道入り口に=写真下。傍らに1985(昭和60)年の地滑り惨事の松寿荘(養護ホーム)犠牲者20人余の慰霊碑が立つ。
神社があの地附山大地滑りで「滑り落ちなかった」のは、頑丈な岩盤上に建立されているからだ。以来、「絶対、スベらない神様」として受験生の参拝が絶えない。
お花見に雲上殿を訪れれば、すぐ上が神社だ。急坂の石段を上り詰めると、10分余で参拝できる。善光寺本堂そっくりの屋根と社殿=同上=に「これは本当に奥殿だ」とびっくりすること請け合いだ。眼下に善光寺本堂、遠くには犀川、千曲川が春霞に光る。穏やかな光景を眺めていると、神仏がなぜ融合したかも実感できる。

仏壇と神棚が共存し、クリスマスにはイエスさまを敬う家庭が大半だろう。世界は宗教戦争で揺れているが、何でも取り入れる日本人...。対立より安らぎを選ぶ性向は、こんな自然と歴史の賜物だろう。
(2012年4月14日号掲載)