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46 「戒壇めぐり」から思うこと5

 〈承前〉旅装束の話に戻ろう


菅笠

 笠は被り物であり、傘とは違う。「笠」は『日本書紀』にも見えるが、縄文や弥生の時代にも被り物があったのだろうか。あったとすれば、それは体験、実学の世界から生まれ育ったものであるから、そう容易く変わるものではなかろうと思う。


 鎌や鍬は農具の最も基本的なもので、今日なお欠くことのできないものであるが、その歴史は古代にまでさかのぼるものである。


 今日では菅笠の利用は、昭和30年代ころまでと比べると、著しく衰退しているが、その機能と都合のよさから手放せないものとしている人たちは、まだまだかなりの数に上っている。


 一口に菅笠と言っても、その名称は素材、製作方法、用途、産地などによって様々である。素材は藺(い)、菅、竹、麦や藁の茎など簡素なもので、その素材と形の原形は、鎌・鍬同様、古代から受け継がれてきたものだろうと思う。


 私は前回にも述べたように、巡礼のときは菅笠を草鞋同様に愛用してきたのだが、菅笠は軽い上に降ってよし、照ってよし、直径が50センチもあって肩口までが覆われ、雨よけにもなれば日よけにもなるものだ。そして文化伝統とともにあって絵にも、歌句にも、唄にも欠かせないものとなっている。けだし、日本の風土が産んだ逸品というべきものか。


 ついでに茣蓙のことをちょっと付け加えておこう。笠同様、雨よけにもなれば日よけにもなる。畑仕事には好都合だ。お茶のときなどは敷物にもなる。不要のときは丸めて筒状にし、襷掛けにすると荷にはならない。欠点は風の場合だ。背中で舞い上がって役に立たなくなるからだ。


 杖=依代

 つまずいたりして転ばないように、杖を突いて用心する。失敗しないように前もって準備することの意に「転ばぬ先の杖」がある。


 杖は、現代は社寺巡りの場合でも、足手まといのように扱われることが多く、足腰立つうちは無用のものの感を免れない。


 ところが人間中心の文明が頭をもたげはじめる前の、巡礼、参詣、登拝(奥山を神の領域として山岳を畏れ仰いできた時代には、登山といわず登拝と呼んできた)など歩く宗教の時代には、杖は男女老若を問わず必須のものであった。


 杖には転ばぬ先のものという以上に依代といわれ、霊力が宿り、神聖なものとされてきた民族の精神遺産としての深い歴史がある。神霊や仏の力が招き寄せられ、乗り移ったものとして、丁寧に立て掛けておくものであり、その辺に放り出しておくものではなかったのである。


 その霊は大樹、巨石、御幣(ごへい)、杖などに寄りつくとされ、諏訪の御柱は大なるものの好例であり、古代からの文化伝統をいまに伝えるものである。歩く宗教者としての杖は単なる杖ではなく、金剛杖と呼ばれたのはそのゆえである。「金剛」とは堅固にして破れざるもの、無明(一切の迷妄・煩悩の根源)の闇を照らし破るという意味だそうだ。


 同行二人

 四国遍路のとき、笠や金剛杖に「同行二人(どうぎょうににん)」と書かれてあるのをよく見かける。たとえ一人であっても、弘法大師さまが陰になり日なたになって、いつも一緒に歩いてくださっているというほどの意味だ。超能力が私のようなものでも守ってくださるというのである。


 善光寺詣での善男善女はたとえ一庶民であっても、歩く宗教者であった。単なる物見遊山ではないのだ。はるばると来つるものかな。念願かなってようやくここまで来られたのだ。あの峠を越せば善光寺さまは、もうそこだと言う。


 ご詠歌を称え「南無阿弥陀仏」を念じながらの旅だった。南無は信じて疑わない、阿弥陀の訓えにつき随う。ここではこの杖に縋り、阿弥陀さまと一緒に歩かせてもらう、と解してもよかろうと思う。

(2012年3月31日号掲載)


 
美しい晩年