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003 パリ 凱旋門 〜ナポレオンの栄枯を映し〜

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 凱旋門とは、戦いで勝って凱旋(帰還)する兵士たちを迎えるアーチで世界中にある。パリのシンボル・凱旋門は、正しくは「エトワールの凱旋門」という。古代ローマの凱旋門を手本にした新古典主義の傑作だ。


 ナポレオン・ボナパルトが1806年にオーステルリッツの戦いの勝利を記念して建てさせた。当初、ルーブル宮前に建てたカルーゼルの凱旋門が、彼が予想していたより小さいとして再度造らせたといわれる。


 シャンゼリゼ通りの突き当たり、シャルル・ド・ゴール広場の中心にそびえ立つのがエトワールの凱旋門だ。高さ50メートル、幅45メートルの巨大さ。当然、建設には手間取った。ナポレオンは子宝に恵まれなかった王妃ジョセフィーヌと間もなく離婚。オーストリアのマリー・テレーズと再婚してパレードし、この凱旋門をくぐったが、未完成だったので上部に"張りぼて"を付けての情けないパレードとなった。


 ナポレオンはこの後、プロイセン・スウェーデンなどの連合軍に敗れ、エルバ島に流刑の処分となる。脱出して再び天下を取ったものの、ワーテルローの戦いでまたも敗北。"百日天下"に終わる。そして西大西洋のセント・ヘレナ島に送られ、そこで生涯を閉じた。エトワールの凱旋門は死後19年した1840年にようやく完成。従って、棺に納まった遺骸がこの凱旋門をくぐることになった。


 彼の遺骸はアンバリッド教会の地下の大きな棺の中で今も眠っている。「上の1階から棺を見下ろすのはどんなものか」と尋ねたら、傍らのパリジェンヌいわく「見下ろすのではなく、みんな頭を垂れるのよ」と笑って反論した。なるほど。


 凱旋門の正面の壁には浮き彫りがある。左側の中央はナポレオンだ。右手の彫刻はリュード作「1792年の義勇軍の出陣」で、通称「ラ・マルセイエーズ」。フランス国歌は、この勇士たちをたたえたものだ。


 頂上に上ってみよう。いつも故障のエレベーターを横目に272段の階段は螺旋状で、カタツムリ(エスカルゴ)さながら。息を切らせて上り切れば、そこは吹きさらしの展望台。ここからはエッフェル塔はむろん、遠くモンマルトルの丘も見える。


 ここの最大の見どころは、四角い展望台をぐるっと回ると見える12本の通りだ。ナポレオン3世がオスマン男爵に命じて都市計画をさせた。通りは放射状に広がり、星状に見えるので「エトワール(星)」と名付けられた。12本の通りでは、やはりシャンゼリゼ通りがピカ一だ。


 「エリーゼの野(庭)」を意味するこの通りは、赤いネオンサインが禁止されているなど規制が多い。クリスマスのライトアップや大みそかのカウントダウンでも有名。私はここで2回、新年を迎えた。その華やかさは、ただ一言「さすが!」だった。

(2012年5月12日号掲載)


=写真=正面の壁面にある見事な浮き彫り

 
ヨーロッパ美の旅