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04 〜クリアウォーター市と提携〜

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 ウィリアム・A・ケリーは1946(昭和21)年7月、26歳の若さで2代目の軍政部教育部長に就任、49年3月に帰国するまで終戦後の長野県教育行政を牛耳りました。そのケリーが50歳を越えたある年、彼を長野に招待し"占領下の長野の思い出の会"を開いた立役者は倉島でした。


 また長野市は59年にアメリカ合衆国フロリダ州のクリアウォーター市と姉妹都市提携をしました。そのきっかけは、56年に倉島が米国務省の文化交流計画で全国の市長でただ一人招待を受け、3カ月間アメリカの各都市を視察したことからです。


 倉島はその視察中にケリーに会ったり、クリアウォーター市にも1週間滞在しています。


 時の大統領アイゼンハワーが提唱した姉妹都市提携に賛同した長野市は、合衆国の都市との提携を模索し、クリアウォーター市が、観光地であること、人情に深いこと、日本人の居住者が少なく日本人を珍しく思っていること-などの条件により、両市の議会で姉妹都市を議決しました。


 クリアウォーター市はフロリダ半島のメキシコ湾岸にあり、タンバ空港から自動車で30分。人口10万人余の都市で亜熱帯性気候のため町にはヤシが茂り、冬でも海水浴ができる避寒地です。


 長野市との交流は初めは年1、2回、親善視察団の交換や日本文化(舞踊・舞踏・華道)の紹介程度であったが、次第に活性化し、クリアウォーター市からの来長は71年に18人、73年には23人に。長野市からクリアウォーター市へは76年に27人、78年には41人になりました。


 また81年からは、クリアウォーター市から英語教師が継続的に長野に派遣されています。さらに両市は交換学生を派遣し合うようになるなど、交流はさらに深まっています。


 このように国際親善と文化の交流の源泉をたどれば倉島市長にまで行き着きます。

(2012年4月28日号掲載)


=写真=姉妹都市となったクリアウォーター市の海岸