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004 パリ 出現 〜モロー旧宅で見る衝撃作〜

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 団体ツアーではあまり訪れることのない美術館の中には、たまらない魅力のある美術館がある。パリのモロー美術館もその一つだ。内部に入るや油絵の匂い。ここはもともと、ギュスターヴ・モローの住宅兼アトリエだった。


 モローの作品を知らない人でも、オルセー美術館に足を運んだことがあれば1枚の絵を見ているはずだ。それは「オルフェウスの首を持つトラキアの娘」。"怖い絵"ではないが、この作品の前で不思議な感覚を抱いた訪問者も少なくないだろう。


 竪琴と詩吟の名手・オルフェウス。妻が蛇にかまれて死んだが、神に頼んで冥界に会いに行く。付いてくる妻を決して振り返ってはいけない、との条件がついていた。だが、地上の光が見えた時に振り返ってしまう。その瞬間、妻は再び冥界に。彼は悲しみから閉じこもり、神の怒りを買い八つ裂きにされる。遺骸は川に流され、トラキア(今のトルコなど)に流れ着く。そんなギリシャ神話を題材にした絵だ。


 こうした神話や聖書を題材に、目に見えないもの、人間の内面や形而上の世界を描いたのが、象徴主義の巨匠ギュスターヴ・モローである。


 中でも私が「出現」=写真=に魅せられた一因に、英国の作家オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』がある。新約聖書の一節にあるヘロデ王の前で踊るサロメ。褒美に牢獄のヨハネの首を所望する。文中の「ヨカナーン(ヨハネ)の首を!」のせりふが頭から離れない。そんな折に見たガイド本の「出現」にくぎ付けになった。


 そして、パリへ飛んだ。メトロの2番と13番が交わるトリニテ駅で降りる。


 案内掲示を探し当てると、背の高い女性が見ていた。彼女もモロー美術館に行くところだった。人通りも少ないロシュフコー通りを歩いて5分。アルゼンチンから来たという20代後半の彼女は「モローの情念の世界に引かれて、いま大学院で研究をしているの。写真で見たモローの世界に魂を揺さぶられて」とラテン系の女性らしい答えが返ってきた。


 入館し、床がきしむ螺旋階段で上階へ。アトリエだったため、油絵具の香りと生活臭がすごい。世界で初の住宅兼アトリエの国立美術館だ。これぞ現場! といった感じだ。


 「出現」はすぐに見つかった。縦142センチ、横103センチの水彩画だ。首を斬られたヨハネが、サロメの目の前で突然よみがえるというショッキングな設定である。薄着をまとったサロメが恐れおののくドラマチックな場面。これが未完成とは思えないほどだ。モローはこの未完成作品を官展(サロン)に出品している。


 ヨハネは、キリストに洗礼をしたことから「バプティスマ(洗礼者)」と呼ばれる。

 当時のヘロデ王は、ヘロデヤとの再婚を批判した彼を牢獄に入れた。彼女の連れ子がサロメ。彼の、こうした一連の絵から"悪女伝説サロメ"が定着していった。

(2012年5月19日号掲載)

 
ヨーロッパ美の旅