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010 電池が切れるまで ~限られた歳月と向き合い~

    命

           宮越由貴奈

命はとても大切だ

人間が生きるための電池みたいだ

でも電池はいつか切れる

命もいつかはなくなる

電池はすぐにとりかえられるけど

命はそう簡単にはとりかえられない

何年も何年も

月日がたってやっと

神様から与えられるものだ


    ◇


 安曇野のシンボル常念岳が、残雪を輝かせてそびえ立つ。田植えを済ませて間もない田んぼには、青い空や白い雲を背にした山々が、水鏡さながらくっきりと影を落としている。


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 間近に水田の広がる中、赤い屋根の建物が幾つか肩を寄せ合い、遠くからも人目を引く。近づけば時計台がひときわ高い。安曇野市豊科、長野県立こども病院だ。


 田園に溶け込んだメルヘン風のたたずまいを眺めるたび、一編の詩「命」が切々と胸に迫ってくる。『電池が切れるまで 子ども病院からのメッセージ』(角川書店)の冒頭に登場する。


 さかのぼれば1998(平成10)年6月、一人の少女が11歳4カ月の短すぎる生涯を閉じた。小学4年生、宮越由貴奈ちゃん。5年半に及ぶ闘病、手術3回の苦痛に耐えながらなお、旅立たざるを得なかった。


 県立こども病院には「院内学級」がある。由貴奈ちゃんもそこで勉強していた。そして理科の授業「乾電池の実験」を終え、一気に書き上げた詩が「命」である。亡くなる4カ月前だった。


 まさに短い生涯を凝縮させている。精いっぱい生きようとし、その通り精いっぱい生きたことを、けなげに、説得力豊かに物語っている。


 詩はこう続く。


命がないと人間は生きられない

でも

「命なんかいらない。」

と言って

命をむだにする人もいる

まだたくさん命がつかえるのに

そんな人を見ると悲しくなる

命は休むことなく働いているのに

だから 私は命が疲れたと言うまで

せいいっぱい生きよう


 このころ全国的に少年少女たちの自殺が繰り返され、教師や親たちが心痛める社会的な問題になっていた。自殺に結びつきがちないじめも、深刻さを増している時期であった。


 由貴奈ちゃんが悲しんだ「命をむだにする」風潮だ。こども病院では幼い子も交え、大勢が必死に、懸命に、日々、病と向き合っている。


 そんな一人だった由貴奈ちゃんは1987(昭和62)年2月、諏訪郡富士見町に生まれた。4人姉妹の長女として育ち、忙しい自営業の両親の下、よく妹たちの世話をする子だった。


 ところが、何ということだろうか。5歳の暮れに足の痛みが生じ、信大附属病院で小児がんの一種、神経芽細胞腫(しんけいがさいぼうしゅ)と診断される。


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 自らの命と引き換えにこの世に刻んだ「命」のメッセージ。今も変わらぬ強さで私たちすべての人に、命の大切さを発信し続けている。


 〔院内学級〕長期にわたって入院する子どもたちのために、近隣の小中学校が支援する病院内の教室。一人一人の状況に応じた個別指導が中心。

(2012年5月26日号掲載)


=写真=安曇野の水田に囲まれた県立こども病院


 
愛と感動の信濃路詩紀行