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13 鬼無里街道 奈良尾奥の院 〜真言系山伏の霊場を登拝〜

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 花曇りの4月22日、戸隠の奈良尾奥の院を訪ねる。鬼無里行きバスを参宮橋で降り、裾花川を渡る。春を告げる雪解け水のシンフォニーを耳に楠川沿いに北上、折橋で小休止。


 楠川を渡り、奈良尾沢沿いの坂に取りかかる。あちこちでホトトギスの鳴き声を楽しむうちに、約1時間で奈良尾の里に着く。この地は弘法大師信仰が篤く、『長野県の地名』(平凡社刊)に「弘法大師修法(すほう)の地と伝えられ、大小の石窟がある」と記されている。


 奈良尾公会堂はかつて「お堂」と称され、奈良尾沢沿いの阿弥陀堂、奥の院と一体となった真言系山伏の修行道場の中心であった。きょうはお大師の縁日に因んだ例祭が、奈良尾、母袋両組の成年会により開かれる。


 お堂で独り、本尊弘法大師に「3・11フクシマ」の復興と一日の無事を祈願。母袋に向かって歩き始めた時、宇和原の原山定樹(さだき)さんとの再会という大瑞縁を受けた。昨春に続き、幸(ゆき)枝夫人心尽くしの昼食に舌鼓を打つ。朝取りの雪菜のお浸しは絶品である。


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 午後1時、参道整備を済ませた成年会のメンバーと合流し、奥の院登拝に就く。宮沢茂会長は「開創から150年、霊場に感謝と誇りを持って両組総出で登拝し、守り続けてきた。責任を持って次世代に引き継ぐ」と力強く語る。私の琴線はその志に大きく共振した。


 山道に入ると、修験の気配が満ちて思わず襟を正す。間もなく阿弥陀堂で岩窟のお大師に般若心経を奉誦。ここからは胸突八丁の急登が続き、二つの難所を凌ぐと奥の院である。奈良尾沢源頭近くの巨岩を背に間口二間、奥行き三間の勇姿を西に向けている。


 一同勢ぞろいして、本尊弘法大師に感謝と両組の安全を祈願して般若心経、御真言を奉誦。私は春の奈良尾谷の経文の響きに身を置き、信仰篤き里人の原風景再現に強い感動と敬意の念を禁ずることができなかった。


 納めはお堂で、注意深く山道を戻る。お堂では安置されている本尊弘法大師に奥の院登拝を報告し、御真言を読誦して直会(なおらい)となった。


 お堂の前に住む今井功さんから古文書を手に詳しい説明を頂いた。それによると、今井さんの曽祖父は1824(文政7)年に四国88所を含む諸国巡拝の供養塔をこの地に建て、その後安政年間に地元出身の徳仙和尚がここに居を構え、石仏一体ずつの寄進を善光寺平一帯に広く募り、1865(慶応元)年奈良尾弘法大師霊場を開いた。


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 今もなお88体の石像が、お堂から奥の院までの4キロ余の旧参道に立ち並び、村人を見守っている。1915(大正4)年には開創50周年、徳仙和尚33回忌の記念法要を盛大に行い、村人の絆は一層固いものとなったという。


 私は両組への敬意とお大師より多くの恵みを頂いた一日への感謝を胸に、田起こしの始まった奈良尾の里を後にした。

 「南無大師遍照金剛」

 次は北国街道の小玉古道を歩く。

(2012年5月19日号掲載)


=写真1=巨岩を背にした奥の院

=写真2=奥の院手前の不動明王像

 
絆の道