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136 時丸寺 〜善光寺信仰にちなむ伝説も〜

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 旧北国街道の相ノ木通りの西端近くにある三輪山時丸寺(みわさんじがんじ)は、なかなか広大な名刹だ。本堂裏には400を超す墓石が並ぶ。入り口は狭いが、御影石の門柱の巨大さにびっくりする。


 いわれは善光寺信仰の神随を語るので、通称「ときまるでら」とも呼ぶ。


 村上天皇の西暦900年代、大和の国三輪(現桜井市)の裕福な家に時丸は生まれた。生来の悪ガキで、いたずら放題の報いから病死。両親の嘆きを後に閻魔大王の裁きを受けることになった。


 その時、足の裏で善光寺の御印文が光っていたので「お前は信州へ行き参拝したことがあるのか」と問われた。「母が越後の祖母を訪ねた際、善光寺に安産の祈願をした。その時、私を宿していたとか...」と答えた。「ならば地獄に落とすことはできない。娑婆へ帰れ」と命じられた。


 冥途からカムバックという奇瑞に感激した一家は善光寺にお礼参りし、仏法を広げるため東の門に庵を結んだ--という伝説だ。


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 いつのころか時丸の庵は相ノ木に移転、宗派も浄土宗から曹洞宗(禅宗)に変わり、伊東盛弥(せいや)現住職で18世になる。面白いことに夫人ともども長崎生まれの長崎育ち。先代が宗派の命で、西国からはるばる赴任したという因縁だ。


 善光寺に縁深い寺だから、全国善光寺組織の各種法会やイベントの誘いを受けるのだが、「ちょっと一歩引いていまして...」と、伊東住職は禅宗に属するジレンマを語る。


 「他力本願=弥陀に全身全霊を委ね往生すること=は浄土信仰ですが、鎌倉新仏教の流れの禅宗精神は自力本願の色合いも濃いのです。アクティブ(能動的)に自己の精神を鍛えることも大切と思います」


 同感だ。高齢になり体力が衰えても、前向きに生き、考え、歩くこと、社会との関わりに生きがいを見いだすことが大事だ。最後は阿弥陀仏の本願に頼ればよい。


 人生50年余が寿命であった時代から、男女とも80歳前後がスタンダードになりつつある。"ポスト退職後"が急激に長くなった。しんどいことだが仕方ない。死生観の問題であろうか。明日はきっと奇瑞があるだろうと夢を見ることも、最後の夢が潰えることも覚悟して生きねばならない。


 本堂前庭には、推定樹齢400年の五葉松がそびえている。五葉松でこれほどの大木は近隣では見ることができない。涼やかな樹勢に思わず手を合わせた。

 
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