
中千田の細い農道沿いにある観音寺は、周辺の金子さん一族が主に支える檀家100軒余の小寺だ。善光寺大本願の僧侶が住職というのが珍しい。
由緒碑は「金子一族の菩提寺として400年余の星霜を経て老朽化したので、1998(平成10)年再建した。開基は金子式部正範という人。上野国(群馬県)の沼田城主であった真田昌幸の城代(主君の代理)金子美濃守正忠の子どもである」と記す。
真田昌幸と言えば、信濃の英傑・真田幸村の父上だ。
「へえー、沼田城攻防戦の立役者・金子氏か!」。戦記物語ファンなら思わず膝を打つだろう。
城攻めは策略が勝負。北條氏支配下の沼田城を攻めた真田氏は、かねて敵武将の一人・金子氏と内通していた。一戦を交えるより、背面から手を回し無血で降伏させるのが優れた大将だ。
一方、敵味方の盛衰を読み、自身の身の振り方を決めるのが戦国武将の常道だ。
「北條勢より城を包囲している真田氏の方が見込みがありそうだ...」と金子氏は賭けた。
金子氏は北條勢の衰亡を見事に読み当てた。そして真田氏の先兵となって信濃各地を攻略。数派の流れとなって信濃路に定着した。
県内で金子姓は諏訪で隆盛。佐久、坂城・上田、長野、中野にも多い。北関東・沼田周辺をルーツとする真田氏の進出・展開の足跡にぴったりだ。
『日本姓氏大辞典』(角川書店)を見ると、諏訪の金子氏は数流が競い、かつて武田勝頼に仕えた家系もある。一族には神職や教育者、製糸業から精密機器メーカーを起こした実業家もいる。東信では、医学界の人や絹糸業からIT事業を展開するシナノケンシの金子氏が著名だ。
田畑2枚分ほどの境内だが、山門あり、参道あり、山水に古木(シンパクの一種)が景を添え、モダンなわらべ六地蔵がほほ笑ましい。
檀家の責任者・金子衛さんは大蔵省財務局勤務が長い。「諏訪や東信の金子さんと、どういう関係かよくわからない」というが、伝承によるとこんな話だ。

戦国時代、武田・真田軍が信濃の大将・村上義清を追って北信に進駐、地元の諸家を占領した。そのとき、「今度の占領軍の若大将は金子とか。なかなかの人物。娘の婿にぴったりじゃ」と下村家の当主。婿殿は名門なので下村姓から金子姓に戻り、先祖の菩提寺を建てて幾星霜...という次第らしい。
辻田正純住職は善光寺大本願の幹部で、観音寺の管理運営を兼務している。瀟洒(しょうしゃ)な庫裏の南には、伏見稲荷の社と参道もある。一帯が裾花・犀川の河川敷に由来する穀倉地帯であった名残で、地鎮と豊饒祈願の社だ。
(2012年5月19日号掲載)
=写真=小寺だが由緒ある観音寺