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49 「戒壇めぐり」から思うこと8

 〈承前〉今日では海外はおろか、宇宙飛行士でも無事帰還できることを信じて、地球の彼方に飛び立ってゆく。


 往来手形

 昔の長旅はよほどのことを覚悟してのものだった。よほどとは「生きては帰れぬ」ということであり、「旅先で死ぬ」かもしれぬということであった。事実、そんな例はいくらもあったのだが-。今回はそんな話をまとめておきたい。


 善光寺詣りや四国遍路や各地の札所巡礼など長期にわたる旅には、青壮年層が家庭や仕事を放置して出掛けるわけにはいかなかった。出番は老年世代になってやっとというのが普通だった。


 長旅や遠路に出立するには、まず「往来手形」という厄介なものを必要とした。往来手形というのは、江戸時代に庶民の巡礼、商用旅行の際に携行する旅行許可券、身分証明書を兼ねたもので、菩提寺や村役人が発行した。関所・番所ではこれを呈示して通行の許可を得たのである。


 その内容は「国々所々御関所 御役人衆中」に宛てたもので、「○○村の○○は代々拙寺の旦那で、身分不確な者ではない。このたび諸国巡礼の旅に出ることになった。御関所では無事通してください。万一旅先で病死等のことがあっても、国元へは知らせていただかなくても構いません」というものであった。


 旅人たちはこの手形を汚さないように、ぬらさないように、特別に大事にして持ち歩いたのであろう。万一旅先で病死しても、国元へは知らせていただかなくても...は時代相を象徴して悲愴だ。


  志を果たせぬままに

 四国遍路にしても、西国・坂東・秩父巡礼にしても、その他数々の巡礼地を巡っても、そしていまこうして善光寺への道を歩いても、参詣を果たせぬままに、異郷の地で亡くなった人たちの墓を見ることがある。


 こんな話も聞く。墓を建ててもらえたら、それはまだいい方で、路傍で斃れたらそのまま放置されたり、見かねて、ちょっと穴を掘って埋められる程度だったり、腐臭がひどくなってどうにもならなかったり、というのである。


 やっとの思いでここまで来られたのに...そんな話を聞きながらそこに立つと、無念遣る方無き思いが伝わってくる。墓なり、死に処は一つの信仰遺跡、と言ってもいい。


 行き斃れ

 長旅に出るのだ。万一〈行き斃れ・野垂れ死に〉することがあるかもしれぬ。病気になったり、足をくじいたりして、心ならずも旅宿に逗留することだってあるやもしれぬ。そんなことをおもんぱかって路銀とは別に、胴巻きの中にいささかのものを縫いつけてはきたのだが-。同行者は親しい間柄であっても、案じつつもそれまで行動を共にすることはできない。


 力尽きて路傍に倒れる。書くに忍びないことだが、冷たくなり放置されれば、たちまち狼がやってくる、烏につつかれる、蠅がたかり蛆がわく。


 そんなときのために、親切な人の手にかかることを信じて、胴巻きの金を使っていただく。手紙が添えられてある。


 「命運つたなく、お世話さまになります。穢い体で申し訳ありませんが、このまま打ち捨てられるのは、何ともつらい。無縁仏で構いません。どこぞの坊様に頼んでお経の一つもあげてもらえれば有難い。お頼み申します。用意したのは少ないのですが、心からのお礼とお願いです。どなた様のお世話になるのかもしれず、お礼の申し上げようがありません。ただただ有難い気持ちを押し戴いて、あの世へ行かれます」


 大方はこんなことが書かれてあったのだった。胴巻きの金額にもよるが、世話をしてくれた人たちは埋葬ののち、ささやかな場を用意し、霊を慰め、菩提を弔ったということであろうか。また(お金が)「こんなにあるぞ、お墓を建ててやれや」ということにもなったのである。無常院などという小堂を建てて、亡者の志に報い、供養してきた例も各地にある。

(2012年5月19日号掲載)


 
美しい晩年