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05 〜大峰・地附山で観光開発

 倉島市長は1957(昭和32)年のアメリカ視察以来、観光開発に着目し、善光寺の裏山をどう有効に活用するか考えていました。


 60年には、5カ年計画による次の観光開発事業を推進することにしました。

 (1)善光寺・城山公園・招魂社境内一帯の整備(動物園・水族館・博物館の造成)

 (2)大峰山・地附山一帯の開発(ロープウエー展望楼・仏舎利塔・ゴルフ場など)

 (3)飯綱高原の開発(スキー場・ゴルフ場・林間学校の誘致・裾花川峡谷開発など)

 (4)地下資源の開発

 (5)善光寺御開帳に合わせ、産業文化博覧会の開催


 計画案では、まず市街地から七曲りを経て大峰山・地附山の二つの山頂を結ぶ観光道路を通し、山中には遊歩道を開いて、物見岩など8カ所に遊園地や水飲み場を造ろうとしました。開発資金は大峰山一帯は市で、地附山一帯は民間でという計画で、長野国際観光会社も設立されました。


 62年11月10日に竣工した大峰展望台(通称・大峰城)は鉄筋重層4階建てで、4階が展望台、2、3階は郷土資料の展示室として入り口には大手門を設けました。竣工後は長野駅から直通バスも運行され、初年度の入場者は4万900人と予想以上の成績でした。


 一方、地附山を中心とした観光開発は61年にロープウエーが設置されました。その雲上台駅は規模で全国一といわれ、山頂には飛行塔まで持つ遊園地やゴルフ場も造られ、一時は観光客でにぎわったものでした。


 しかし、後に戸隠有料道路の開通などで一帯は通過地となり、利用者は激減。収支のバランスが失われ、81年に大峰山展望台は「チョウの自然博物館」と名を改め、世界のチョウの標本を集めて展示することになりました。同年の利用者は4万人を超えましたが、次第に減少し、遠足やハイキングの目的地として利用されるだけになりました。


 倉島市政が取り上げた善光寺裏山の大峰山・地附山の観光開発を巡る試みは産業経済の動向に影響されて浮き沈みはあったにしろ、長野の観光開発の礎石になったといわれています。


写真:1962年完成時の大峰城(展望台)