揺籃(ゆりかご)のうた
北原白秋作詞
草川 信作曲
一、揺籃のうたを
カナリヤが歌うよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
二、揺籃のうえに
枇杷の実が揺れるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
ゆっくり、ゆっくり低くささやくように、口ずさむ。やさしく、やさしく語りかけるように、繰り返す。だれが歌っていても共通して、穏やかな時間が流れていく。

すやすやと、まるで赤ちゃんの寝息が聞こえてきそうだ。眠りながら時々、口元を緩ませて笑みをたたえる表情が、目に浮かぶようだ。
国内外に子守り歌は数多いけれども、これほど心和ませ、幸せな気分に浸らせてくれるのはほかに知らない。白秋と草川のコンビが生んだ傑作中の傑作だ。
白秋の詞は1921(大正10)年、月刊誌「小学女生」8月号に掲載された。草川の作曲は、22年6月である。
これに先立つこと10年前、1911(明治44)年発刊の白秋第2詩集『思ひ出』には、「母」と題した詩が詠み込まれている。
〈母の乳は枇杷より温(ぬる)く/柚子(ゆず)より甘し〉で始まり、途中〈肌さはりやはらかに/抱かれて日も足らず〉と織り込む。一日中その胸に抱かれていてもあきることがないというのである。そして〈母はわが凡(すべ)て〉と結んでいる。
赤ちゃんそのものになりきった詩だ。対照的に母親の視線で構成されている「揺籃のうた」と、一対の関係にある。
草川の年譜によればこれを作曲した前年の10月、長男宏が生まれた。それから8カ月後ということになる。かわいい盛りだっただろう。
三、揺籃のつなを 木ねずみが揺するよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
四、揺籃のゆめに 黄色い月がかかるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
白秋の詞を念頭に曲想を描く草川の脳裏には、絶えずわが子の面影が去来していたのではないだろうか。そう考えずにおれないほど、曲の初めから終わりまで慈愛に満ちている。無心に育つ小さな命への愛(いと)おしさにあふれている。

草川信は1893(明治26)年2月14日、上水内郡長野町(現長野市)県町に生まれた。父親の一成(いっせい)、母親の幾久(きく)は共に松代西条村出身で、その4男としてである。
善光寺の南西1キロほど、そのころの県町はまだ自然が豊かだった。西に切り立った旭山(785メートル)を見上げる。その麓、裾花川から取水した用水の鐘鋳川が、軽やかに流れていた。
いま鐘鋳川は、すっかりコンクリートの下に閉じ込められ、信少年が近所の遊び友達と戯れた名残は、見つけ出すすべもない。
家並みもすっかり変わった。それでも信濃教育会やひまわり公園前の車道から細道へ入ると、入り組んだ小路が昔の面影をとどめる。
生家はこの辺りと教えられた空き家の塀際で猫が2匹、日なたぼっこをしていた。草川メロディーをはぐくんだ原風景の安らかさである。
〔小学女生〕鈴木三重吉が創刊した童話・童謡の児童誌『赤い鳥』に続いて実業之日本社が1919(大正8)年10月から発行した。姉妹誌『小学男生』と共に多くの童謡を世に送り出した。
(2012年6月23日号掲載)
=写真=県町の草川信の生家付近