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14 北国街道 小玉古道 〜緑のシャワー浴びながら〜

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 絆の道は北国街道に入り、緑が燃え立つ5月18日、関山宿から小玉古道経由で牟礼宿へ歩く。


 朝早くJR信越線の関山駅で降り、西へ向かい関山神社で「3・11フクシマ」の復興と一日の無事を三社大権現に祈願。


 ここは江戸時代の測量家・伊能忠敬が1802年の日記に「関山宝蔵院御朱印百石」と記していて、妙高八山を領していた関山修験宝蔵院管理の一大聖地であった。今は妙高山を借景とした庭園と石垣に、かつての盛姿をしのぶだけである。


 旧道をひたすら南下、2時間ほどで郷田切川である。ここは妙高山麓を深く削る田切が並ぶ難所で、田切宿が置かれていた。今は妙高大橋で一気に通り抜けできる。


 毛祝(けわい)坂の信号をさらに進み、関川の雪解け水の瀬音が耳に入ってくると関川宿である。


 ここには「重き関所三十五関」の一つ、関川関所が設けられ、今は「道の歴史情報館」として往時の姿を復元している=写真下。早めの昼餉を使いながら関所破りの女性たちに想いを寄せる。右手の雑木林を忍びの道として、村人の手引きが横行していたという。


 関川を渡ると、いよいよ信濃である。

〈春の風 山深くても故郷や 一茶〉


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 幾つかのS字坂を上ると間もなく野尻宿。幽玄の気漂う野尻湖琵琶島の弁財天に向かって般若心経を奉誦し、田植えの準備が始まった風景を楽しみながら足取り軽く先を急ぐ。


 野尻一里塚で一休み。ここを往来した旅人たちに心を馳せていると、幕末の勤王の志士・清河八郎の日記「西遊草」の一節が浮かんできた。八郎は善光寺大地震の8年後の1855年、母と善光寺参りをしたが、「柏原等を越し牟礼に至る。先年地震憂い未だ癒えざれば、何方(いずかた)も美なる家なし。誠に天変の流行恐るべきものなり」と記している。


 私の心は、天皇陛下が東日本大震災に寄せて詠んだ一首〈被災地に寒き日のまた巡り来ぬ心にかかる仮住まひの人〉とが重なり合い、深い心痛の海に沈まざるを得なかった。「『3・11フクシマ』は未だ災後でない」


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 重い腰を上げ先へ進み、句碑が目立つ柏原宿の中央の石標で息を入れる。ここは戸隠への追分で、江戸初期の道しるべが今も人々を導いている。


 鳥居川を渡ると古間宿で、落影地区から小玉古道に入る。この道は「美しい日本の歩きたくなるみち500選」の一つで、金坂、赤坂、観音坂、石洗い坂と続く約3キロの山道である。緑のシャワーを心身に受けながらの独り歩きは「アルキスト」の醍醐味だ。昔ながらの路面と景観を存分に楽しみながら足を運ぶ。


 牟礼宿が見えてくると観音平(びら)である。かつて観音堂があったが、今は天保15(1844)年3月銘の9体の石仏が往来する人々を見守っている。観音十句経を奉誦。

 日は西に傾きかけ、故郷への誇りと愛着をもって古道を守り続けている「小玉こどう会」に敬意を表しながら帰途に就いた。


=写真=昔ながらの路面が続く小玉古道