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36 大法院 〜松代藩に縁ある寺

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 『観音とそば 信濃史雑考』と題する私家版の著作に、(京都市の)「洛西妙心寺塔頭大法院考」の記事が載っている。大法院は象山の墓=写真=がある寺として知られているが、なぜ、象山が葬られているのか、この記事を読んで疑問が氷解した。


 著者は県立歴史館史料調査委員で長野市文化財保護審議委員を務める関保男さん=安茂里。関さんは郷土史に詳しく、「歴史と旅」といった雑誌、長野郷土史研究会の機関誌「長野」などに論文を寄稿。これまでに書き留めた約120編に上る文書を2009年夏、「喜寿の記念」にまとめて出版した。


 この中の「須高」26号=1988年4月=に「大法院」のことが書いてある。その論考を読んでみると-。


 妙心寺の北門口には大法院への案内標識が立てられており、「象山参道」と刻まれ、庫裏の西北の角にまた石柱がある。


 「贈四位象山佐久間先生墓道 従是西壱丁

大法院 明治卅三年寄進 美濃国大垣 金森吉次郎」


 大法院の院主は松岡宗訓師。「自由にご参詣ください」とある。中央に並ぶ8基の石塔は真田一族の墓だ。


 帰宅後、松岡住職(故人)から手紙を頂いた。要旨、次のような内容だった。


 「大法院の先代が亡くなられてから、3年ほど無住だった後を継いだため、寺の由緒などについて何も聞いていない。親戚寺の話によれば、先代も障子一つ満足なものはなく、庭石から立木まで売られ、すすき原へ苗木を植えたような無住の寺を継いだため、たいへん苦労された」


 そして、住職は「象山さんも斬られた後、仲間が取り敢えず、松代藩に縁ある寺ということで、頼み込んで埋葬したのだ」という。


 大法院は幾たびか廃寺同然になりながらも、細々と寺名や墓石を残している寺で、私(関さん)は歴史の姿をまざまざと見る思いがした−と書いている。


 その後、妙心寺本堂には案内の説明板が立てられ、大法院も門や塀、庫裏が修復されて見違えるように新しくなっている。

(2012年1月28日掲載)