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39 象山落馬之図 〜幕末期の事件記録集に

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 昨秋、インターネットで佐久間象山に関する資料をあさっていると、京都府立総合資料館に面白いデータが所蔵されているのに、ぶち当たった。「象山落馬之図」=写真=で、資料名は「人のうわさ」。


 同資料館によると、幕末期の事件記録集で、1858(安政5)年〜68(慶応4)年の11年間にわたり、桜田門外の変や、(象山の暗殺が"導火線"となって勃発した)長州戦争...などの諸事件についての文書、戯れ歌、張り紙、高札などの写しを収集、31冊分にまとめられたものだ。


 収集品は京都市中京区木屋町四条上ル鍋屋町の旧家で発見された。表紙には「久兵衛」の名前が明記され、彼が筆写したらしい。


 「象山落馬之図」は、白昼、馬に乗って象山が通行中、2人の武士が擦れ違いざまに両側から両足を切り付けた。真っ逆さまに落ちる象山。鮮血がほとばしり、無残な姿がリアルに描かれている。


 古文書の説明書によると-。

 「斬戮之死骸、直様家来之者、若党等借宅へかけ付、早速ニ参リ、宅まて持ち帰り候ニ付、死骸御座なくよし」


 同総合資料館の辻真澄・古文書担当は、次のように解読する。


 「殺戮された(象山の)なきがらについては、すぐに家来や若党が借宅に駆け付け、(それから)早速に(殺戮の現場へ)行き、宅まで持って帰ったので、(現場には)死体はない」


  松代藩の侍医、山田見龍が疵改めの際、写し取った文書には全身に13カ所の痛手を負い、即死。後ろ疵が2カ所あったので、「武士たる者が不覚である」と、松代藩の仕打ちは冷酷非道を極めた。暗殺から3日後の64(元治元)年7月14日、次のような一片の御達(おたっし)を遺族、親類に申し渡した。


 「佐久間修理儀、此度殺害致され候仕末重々不届に思召候に付、御知行並に家屋敷地共、被召上之」(宮本仲著・佐久間象山全集)。


 象山の忘れ形見、恪二郎は「父の敵討ちを決行しよう」と悲憤慷慨の涙に暮れたことだろう。

(2012年3月10日掲載)