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46 傲岸不遜の書状 〜自信満々で先学をけなす

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 「傲岸不遜」(振る舞いがおごり高ぶり、思い上がった態度)、「大法螺吹き」...。昔から指摘される佐久間象山に対するマイナス評価だ。これを読めば、象山ファンも一気に嫌いになるような象山の書状がある。


 栗田の吉田邦紘さん(68)が所蔵する手紙だ。吉田さんの了解を得て披露する。長さ約1メートル、幅20センチの巻き紙の書状は約1000字。1862(文久2)年12月朔日付で、宛先は「御側頭取(斎藤友衛)御中」。象山が51歳のころ書いたものだ。


 松代藩の斎藤友衛は百石取り。同年12月、御側頭取となり、翌年9月に御側頭取兼任奉行勝手元締に。同年10月には京都表御用人(真田家家中明細書)。書簡の要旨は次のとおりだ。


 「...拙者『桜賦』自書一巻、正親町三條大納言実愛(さねなる)卿御筆より候は、天覧に入れ候ところ、天感の上、禁中の御留めに相なり候との事のよし、誠に以って冥加に叶ひ、栄幸身にあまり候仕合せ、有り難き義」と書き継ぐ。この後がいただけない。


 「某(それがし)の文章、賦に至り候ては、本邦漢文字ある以来、千余年間、某に並び候者壱人もこれ無く候」。大変な自信だ。


 「天朝御文化の感ずる時、賦の作者も往々これ有り候へども、皆見るに足らず。...賦は六ヶしく(難しく)して手を措きし候。(伊藤)仁斎(孔孟の教えを説いた儒学者)・東涯(仁斎の長男)、さすがの(荻生)徂徠にも、賦は一首もこれ無く、太宰(春台)に『鎌倉賦』壱首これ有り候ところ、拙劣笑ふべく候。(佐藤)一斎先生、(頼)山陽なども文才帯び候と候へども、山陽も賦は出来申さず」とけなしている。


 吉田さんは、元高校教諭で郷土史家、岡沢由往さんが講義する芹田公民館での古文書講座の受講生。"秘蔵の珍宝"をテキストとして講座に提供。岡沢講師が解読、解説した。


 吉田家は1637(寛永14)年創立の真言宗、観聖寺の家系で、吉田さんは17世。同寺は明治11年の廃仏毀釈で廃寺となったが、松代藩とも因縁があり、書状は先祖が入手したものらしい。

(2012年6月23日掲載)

 
象山余聞