記事カテゴリ:

51 「戒壇めぐり」から思うこと10

 〈承前〉「戒壇めぐり」を9回にもわたって、とりわけ歩くことに関わって書きつづったのは、歩く宗教家そのものともいえる善光寺詣(まい)りの大部分が、老人世代になってようやく適えられたことによる。それも関西、奥州など遠路からの旅を念頭においてのものだった。


四つの条件

 長旅に出るというのは大変なことで四つの条件を必要とした。

 1、達者であること

 2、信仰心(善光寺さまへぜひ詣りたい)があること

 3、路銀(旅費など)の用意があること

 4、家族の支えがあること

以下、その一つ一つについて見たい。


達者であること

 何よりも長旅に耐え得る達者な足腰を必要としたことは言うまでもない。乗り物を利用するという話ではない。自らの足に頼るしかなく、わが家の敷居をまたぐことがその第一歩だ。1日の歩行距離は6里、7里(28キロ)は当たり前。旅日記を見ると、9里、10里(40キロ)も珍しくはなく「雨につき8里」といった次第だ。しかも来る日も来る日ものことだ。


 ついでに言えば、大名行列でさえ朝の出立は5時半が普通。4時半という記録もある。宿場の朝の忙しさとにぎわいが目に見えるようだ。そしてあの大きな駕籠を負っての大行列で、1日8里は平均的な距離だった。江戸初期の1688(貞享5)年、俳人芭蕉は「更科紀行」を試み、木曽路から善光寺道を歩き姨捨の月を賞し、善光寺に参詣して北国街道から碓氷峠を越えて江戸に向かった。この間、木曽路から塩尻-松本-麻績-姨捨は1日10里だった。


 身支度は白装束を主とした着物、草鞋(わらじ)、菅笠(すげがさ)。大きな風呂敷包みに金剛杖、雨の日ともなれば汗にまみれ、泥水を背中まではね上げて、泥装束といってもいい出立(いでたち)となる。


 今なら軽快なスニーカーにトレーニングウエア、リュックサックに○○ハット、全てがコンパクトな品ぞろえで、昔とは雲泥の差だ。1日の歩行距離も今日では仮に60代であれば、15〜20キロ(5里)が精いっぱいというところであろうか。


信仰心があること

 単に旅好きという程度では、数珠に鈴(鉦)、ご詠歌を唱え、納経を行い、路傍の石仏や諸堂に掌を合わせ、然るべき社寺には遠回りをいとわず...とても今日ではできない話だ。


 阿弥陀に縋り、観音の利生(仏が衆生を利益すること)を称え、救いを願う心があればこそ、


遠くとも一度は詣れ善光寺 救ひ給ふは弥陀の誓願 (善光寺ご詠歌)

善男女み堂に満てりはるばると国々を出でて心足らはむ (平福百穂(ひらふくひゃくすい))となるのである。


 路銀の用意があること

 宿銭のほかに、橋銭や舟賃も要る。お札もいただきたいし、お賽銭もあげたい。土産の工面もしたいし、道中、ほんのちょっとのゼイタクをして、名物の串団子やとろろ汁も食べてみたい。


 喜捨、布施、庇護、接待に預かることもあろうが、ある程度まとまった貯えは当然のことだ。いざという時(病気や行き斃(だお)れなど)の用意も大事なことだ。どこでどんなお世話になるやもしれぬのだから。


家族の支えがあること

 ひとり者や世捨て人でもない限り、ひと月もふた月も家を留守にするわけにはいかない。ほとんどが農家の時代だったから、田植え、稲刈り、畑のこと、馬もいる。それら生活万般のことを誰がやってくれるのか。商家や漁民だって同様だ。


 つまりは若い世代に安心して任せられる家族構成でなければ、「わたしは善光寺へ行ってくる」というわけにはいかないのだ。連れ合いが病臥中ということもあれば、親戚・近所の冠婚葬祭だってある。留守を頼んで心おきなく出立できなければ、旅にあってもおちおちできないのである。

(2012年6月9日号掲載)

 
美しい晩年