記事カテゴリ:

52 「戒壇めぐり」から思うこと11

 〈承前〉この「戒壇めぐり」の冒頭で阿含経の訓えを取り上げた。


・光から闇に赴く人

・闇から闇に赴く人

・闇から光に赴く人

・光から光に赴く人


が、それだった。


闇から光へ

 その「光から闇に」の中で「戒壇草履」について述べた。戒壇の入り口で新しい草履を頂き、それを履いて暗所を一巡するのである。闇から闇への世界を板壁に伝わりながら、ゆっくり歩く。そして念願適(かな)って錠前に触れることができた。法悦境に浸りきって泣いた。漆黒の闇のなかで、人々の安堵の吐息が小波のように広がってゆく。


 やがて前の方から「あっ、明かりが見えた!」が聞こえてきた。「ほう」と静かなざわめきが伝わってくる。穏やかな暖かい大きな手を差し伸べられたようなボーッとした明かりだ。私たちはいま、その明かりに吸い込まれるように近づいてゆく。それは光の束でもなく、降り注ぐでもなく、貧者の一灯でもなく...。


 階段を一段上るごとに明かりが増してくる。いただいた新しい草履の藁の感触が、素足に心地よかった。戒壇めぐりが終わった。誰もが無口だった。法悦がずっと尾を引き、言葉を交わしたり、あれこれするとその満ち足りた思いが乱される...それを恐れているかのようだ。みんないまある自分ひとりの世界を壊されたくないのだ。袂から風呂敷を取り出して、脱いだ草履を丁寧に包む。家へ持ち帰るのである。


 階段草履-死装束の一つとして

 死装束とは、死者を納棺するときに着せる、着物や持ち物などの総称である。仏教思想によってもたらされた風習(葬送儀礼)であるが、人は死ねば十万億土の彼方や死出の山へ旅立つといわれるそのときの装束だ。


 その死出の旅に出る装束は、白い経帷子(仏式で葬るとき、死者に着せる着物。題目・名号・真言などの経文を書きつけることが多い)、手甲、脚絆、草鞋(草履)を履かせ、杖と頭陀袋(ずだぶくろ)、善光寺の御印文(守り札・護符)を持たせ、日常使った筆、眼鏡などの愛用品を入れたりする。


 階段草履とはそうした役目を負ったもので、死者たちはそれを履かせてもらい、杖を突きながら西方浄土へと旅立ったのであった。


光から光へ

 ほの暗い善光寺の広い堂内をゆっくり見回す。明治30年代ころまでの参詣者は、晩鐘を合図に院坊から集まってきて、堂内にお籠りするのを常としたという。そんな人たちで内陣(畳の大広間)が埋め尽くされ、外陣に筵が敷かれ、そこでも籠った時代があったのだそうだ。


 階(きざはし)を下り大御堂を後にして山門に向かう。目も眩む陽光が降り注いでいる。眼前の景物がことごとく新鮮だ。世の中って明るいところなんだと、あらためて実感する。ハトが群れている。忙(せわ)しげに絶えず動き、一つところにじっとしていない。なにをそんなに食べる物があるのか、ひっきりなしに嘴(くちばし)で地面を突いている。


 仲見世通りを歩きながら、遠くからの参詣者の身の上を思った。あるいは生きては帰れぬかもしれぬ...行き斃れになるやも...野に果てた生涯と、それを葬り香を手向けた無縁の人たち-。


 一体、光の時代なんて私にあったのだろうか。挫折と無明ばかりが思い返される日々。無告の民の一人としてあがき続け、慚愧(ざんき)に堪えない歳月-。


 山門をくぐりながら小林一茶に善光寺での句がいくつかあることが思い出された。歩くこともままならぬ人、門前に座って物乞いをする人を目の前にしての句だ。


 陽炎や手に下駄はいて善光寺

 重箱の銭四五文や夕時雨

 無告の民(告げ訴えて救いを求めない人、気の毒な人たち)に幸あれ! 苦節の人に光あれ!

(2012年6月23日号掲載)

 (「『戒壇めぐり』から思うこと」の項おわり)

 
美しい晩年