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01 夏目忠雄 〜大長野市の建設に尽力〜

 [なつめ・ただお]

 (1908〜97)

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 夏目忠雄は1908(明治41)年9月8日生まれ。「大正末期、信州の冬は寒い。それでも瓢介(ひょうすけ)(夏目)は長野中学時代、足袋をはかないで-当時は下駄ばきで登校した時代であった-5年間を過ごしたが、(松高時代は)さすがアルプスおろしの吹き荒れる松本の冬の夜は足が刃物で切られるような痛い寒さである。


 その寒い風を押し返すように寮歌を怒鳴りながら彷徨しているうちに、いつの間にやら全寮委員長に祭り上げられていた。27(昭和2)年の春のことである。その4月、新入生を前に瓢介は『諸君の青春は全ての権威に対する挑戦から始まるのだ』と、後世の全学連のような歓迎の辞を怒鳴ったものであった」(夏目の自伝『瓢々乎』より)


 夏目は32(昭和7)年3月に東京帝国大学法学部を卒業し、翌33年4月、誕生したばかりの満州国に青春を投じ、新婚生活を満州で迎え波瀾万丈の生活のあと帰国し、生活の安定を得たのは昭和20年代の終わりであった。


 そして55(昭和30)年に県会議員に当選し、2期目の途中で長野市長選に立候補。62年以後3期連続勝利を収め、大長野市建設に尽力後、3期目の中途で74年7月参議院選に出馬。参院議員を2期務めた。

 夏目の市長在任中の主な業績や出来事は次のようであった。


 ◇63年▽2月 長野市が篠ノ井市・川中島町・松代町・更北村・若穂町・豊野町・七二会村に合併を呼び掛ける▽4月 大峰城が展望台・資料館として開館


 ◇64年▽4月 新市庁舎の建設に着工


 ◇65年▽3月 権堂商店街協同組合が発足▽4月 63年の7市町村に信更村を加えた2市4町3カ村による任意合併促進協議会を発足させる▽12月 松代地震政府調査団が現地視察(翌年1月には松代地震発生回数10万回を超す)


 ◇66年▽7月 長野市の合併8市町村に(豊野町を除く)▽10月長野市・篠ノ井市・松代町・若穂町・川中島町・更北村・七二会村・信更村の2市3町3村の合併人口27万人に


 ◇67年▽4月 し尿処理の衛生工場が川合新田に完成


 ◇69年▽10月 市の斎場が大峰山頂付近に移転


 ◇71年▽8月 第1回長野びんずる踊り


 ◇72年▽4月 消防本部を消防局に▽6月 市民体育館が真島に完成

(2012年7月14日号掲載)


=写真=夏目忠雄の肖像(長野市蔵)