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滋賀・京都01 竹生島(ちくぶじま)〜神の住む聖地

 謡曲史跡保存会(本部・京都市)の謡跡巡りに参加した。今年は6月6日から3日間、滋賀県の琵琶湖周辺と京都北部の謡曲史跡をてくてくと歩き回った。40余人の高齢者集団の旺盛な探訪心に「皆さん、よく歩かれましたね」と、バスガイドの女性は半ばあきれながら感心していた。


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 〈あらすじ〉 朝廷に仕える臣下が竹生島の明神に参拝しようと琵琶湖畔に来ると、老人と若い女が小舟でやってきたので、島に案内してもらう。女も参拝しようとするので、「ここは女人禁制ではないか」といぶかると、老人は「この社の弁財天は女性だから女人禁制ではない」という。そして女は「私は人間ではない」といって社殿に入り、老人も波間に消える。

 しばらくすると社殿が鳴動して弁財天が現れ、春の夜の月光に袂を輝かせて舞う。続いて湖中から竜神が躍り出て、臣下に玉を捧げ、激しく舞いながら国土の守護を誓う。


 琵琶湖の北部にぽっかりとマリモが浮かんだような島がある。周囲2キロ、面積0・14平方キロの小さな島で、これが謡曲の舞台である竹生島だ=写真。実は三十数年前、湖水汚染が問題化し始めたころ、京都新聞の招きで訪れたことがある。その時は南端の大津からホテルのモーターボートで渡った。今回は今津港から観光連絡船に乗った。25分ほどで島の波止場に着く。数軒の土産品店が並び、その先に「関所」が設けられて入島料を徴収していた。前回は見られなかった光景だ。


 「関所」をくぐると、すぐ石段が続く。165段の急な傾斜で、上りつめると宝厳寺にたどり着く。この寺は724(神亀元)年の創設以来、神仏一体の弁財天社として信仰されてきた。が、明治の「神仏分離令」により、竹生島神社(都久夫須麻神社)とに分離された。謡曲に登場する弁財天は宝厳寺の秘宝で、相模の江ノ島、安芸の厳島と並んで日本三大弁財天の一つとされる。桃山時代に京の都から移築した唐門(国宝)、観音堂(重文)を巡り、豊臣秀吉の朝鮮出兵のご座船・日本丸の廃材で造ったという舟廊下(重文)を渡ると竹生島神社に出る。その本殿(国宝)は伏見城の遺構といわれ、正面の桟唐戸にはめ込まれた花鳥の彫刻が美しい。


 竹生島は古来から神の住む聖地とされてきた。今も人々が使っている場所は波止場のある南側のほんの一部だ。土産品店や寺社関係者も参拝者がいなくなると自家用舟で対岸に引き揚げ、夜は無人島となる。が、最近深刻化しているのがカワウの糞害だ。北部一帯が繁殖地となり、数は2万羽を超えている。その糞で樹木が枯れ、湖水が汚濁し、漁業被害も甚大だ。


 竹生島の小謡の一節に「緑樹影沈んで、魚木に上る景色あり。月海上に浮かんでは兎も浪を走るか...」とある。緑に茂る樹木の影が水の底に映ると、水中に泳ぐ魚も木をよじ登るかのように。天上の月がきれいな水の上に映ると、月に住む兎も波の上を走るかのように思われる(関谷一郎訳)という意味だ。

 だが、こうした澄んだ湖水の美しい情景は、今では見られず、謡曲の中だけにとどまる。弁財天と竜神の嘆きが聞こえてくるようだった。

(2007年9月8日号掲載)


 
謡跡めぐり