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静岡・神奈川01 熊野(ゆや) 〜行興寺の能舞台 故郷は磐田市

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 謡曲史跡保存会(本部・京都市)が創立30周年を迎え、先ごろ横浜能楽堂で謡舞大会を開き、翌日と翌々日、静岡・神奈川両県の謡曲史跡巡りを行った。私はこれに参加した後、一人でいくつかの史跡を回ってきた。10年ほど前に紹介した史跡もあるが、新しい発見もあって興味深かった。


 〈あらすじ〉

 平清盛の三男・宗盛からちょう愛を受けている白拍子の熊野御前は、郷里の遠江国・池田宿にいる老母の病気を心配している。そんな折、侍女の朝顔が母の手紙を持って迎えにやってきた。熊野は暇乞いをするが、宗盛は聞き入れず、花見の供を命じる。

 清水寺での酒宴で、熊野は舞いながら落花を見て「いかにせん都の春も惜しけれど慣れし東の花や散るらん」と、散ってゆく都の花よりも、母の命を憂えた一首を詠んだ。宗盛はさすがに心を打たれて帰郷を許す。熊野は信仰していた清水寺の観世音のおかげと感謝し、都を去って行く。


 平家物語を基にした世阿弥作の名曲の一つ。「米粒のように、噛めば噛むほど味が出る謡曲」として親しまれている。謡曲の舞台は京都で、曲中に謡われている清水寺までの道行きは華やかで明るく、沈む熊野の心と見事に対比させている。

 謡曲は熊野が帰郷する場面で終わっているが、これが二人の最後の別れとなった。宗盛は再三にわたって都に戻るよう催促するものの、熊野は母親の病が治っても戻らない。そのうち、平家一門は源氏に追われ、2年後に壇ノ浦で壊滅した。軟弱な宗盛は自決もできず、源氏に捕らわれて処刑された。39歳だった。熊野はその後、両親も死亡したため尼となり、10年ほど生きて33歳で没したといわれる。


 熊野の故郷はいまの静岡県磐田市。豊田町池田にある行興寺(通称・熊野寺)が屋敷跡といわれている。JR豊田町駅から市営バス(熊野号)で20分、車だと東名高速の磐田ICで降りる。

 本堂左側に小さな観音堂があり、熊野と母親、侍女・朝顔の五輪塔が並んで納められている。女性の悩みや願い事を聞いてくれるので、特に女性に人気があるとか。本堂の裏庭は広く、熊野にちなんで立派な能舞台と伝統芸能会館があった。


 この寺の一番の自慢は、熊野が植えた樹齢800年以上といわれる藤の巨木だ。1本が国の、5本が県の天然記念物に指定されている。毎年、4月下旬から5月上旬にかけて、「熊野の長藤」といわれるように長さ1.5メートルを超える紫や白の立派な花を付ける。5月3日の熊野の命日には、能舞台を中心に供養祭が町を挙げて行われ、豊田町駅からシャトルバスも出る。

 訪れた時は残念ながら花は終わり。1カ月早かったらと悔やまれたが、「ま、いいか。今回は花より団子」。観音堂の前にいっぱいに広がる藤棚の下で、持参した弁当を開いた。

(2009年12月19日掲載)

 
謡跡めぐり