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02 無知の知 〜分かったつもりよりも 「分からない」と認める勇気〜

 スパルタとは対照的に、子どもたちの人間教育に力を入れた都市国家がアテネです。そこから人類史に残る思想家たちが生まれていくのですが、その代表の一人がソクラテスです。


 あるとき、ソクラテスの友人が、デルフォイの神殿(ギリシャ神話の太陽神アポロを祭る)へ神託(神のお告げ)を受けに行きました。そこで、「ソクラテスよりも知恵のある者が誰かいるか?」という質問をすると、神がかった巫女が神託を述べました。その神託によれば、「誰もいない」という返事です。


 知恵者ソクラテス

 そのころのアテネには、ソフィストと呼ばれる教師が大勢いて、市民の子弟たちの教育を任されていました。ソフィストの多くは有能な教師でしたが、その中には知識を自慢し「自分には知らないことはない」と公言する者さえもいたのです。


 ソクラテスは考えます。その人たちに比べたら、自分には分からないこと、知らないことがあまりに多い。それなのに、どうして神託は、自分が誰よりも知恵者だと言うのだろうか--。そして、ソクラテスは神託の謎を次のように解明します。


 「もし、彼らと自分に違いがあるとすれば、それは、自分が様々なことを『知らない』『理解していない』ということをよく知っているということだ。神託が私を随一の知恵者だというのは、その意味ではないのだろうか」と。


 そして、ソクラテスは、自分が分かっていない事柄を理解しようと、何でも知っていると豪語するソフィストたちに、「〜はどういう意味ですか?」「〜はこういうことなのですか?」と素朴な、しかし、実はよくツボを押さえた質問を繰り返します。その質問と応答のやりとりの結果、ソフィストたちだけでなく、当時の人たちが分かっているつもりだったことで、実はよく分かってはいなかったことや誤解であったことが次々と明るみに出され、その質問に取り組むことによってギリシャ哲学の黄金期が開かれることになるのです。


 今、「分からない」と口にすることを恐れる子どもたちは少なくありません。それは、一つに、そんなことを口にしたら、分かったつもりの大人や仲間から「そんなことも知らないのか」と笑われたり、叱られたりする恐怖があるからではないでしょうか。


 しかし、そんなときにこそ「無知の知(知らないということを知っている)」という名称で伝えられているこのエピソード----分かったつもりになるよりも、分からないことに対して、「『分からない』と認める勇気こそが、問いを発展させ、考える力を引き出す何よりの原動力となる」ことを教えてあげてください。

(2012年6月30日号掲載)

 
続・たてなおしの教育