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京都02 田村〜清水寺舞台に

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 〈あらすじ〉

 都見物の僧が音羽山の清水寺に着き、折から満開の桜に見とれていると、若い童子がやってきて、清水寺は坂上田村麿が創建したことや、付近の名所などを教える。僧が名を尋ねると「私の帰る場所を見てほしい」といって、境内の田村堂の中に消えた。

 僧が読経していると、童子が武将姿の田村麿になって現れる。勅命を受けて鈴鹿山の賊と戦い、千手観音が味方して光を放って賊を全滅させたと語り、観世音の仏力を讃える。

    

 平安時代の武将・坂上田村麿が清水寺を建てたことは、当時の説話集である今昔物語や同寺の縁起などに記載されている。縁起によると、田村麿が妻の安産のためにと音羽山で鹿狩りをした時、延鎮上人に会って殺生を戒められ、観世音の功徳を教えられた。以来、観世音を信じるようになり、数々の武勲も信仰のたまものとして、仏殿を寄進したとある。


 清水寺といえば、崖にせり出した「清水の舞台」が広く知られており、田村堂はあまりなじみがない。「開山堂」とも呼ばれ、本堂の手前に、経堂と並んで立っている。中に田村麿夫妻を中央に、清水寺元祖の行叡居士(ぎょうえこじ)、開山の延鎮上人が祀られている。


 謡曲にも謡われている「音羽の滝」は、背後にある音羽山から湧出する清泉で、古来から枯れたことがないという。寺の名前もこの清泉から名付けられ、今もわが国10大名水の筆頭に挙げられている。参拝者たちは3本に分けられた滝水の前に、行列をつくってヒシャクに汲み、口や手を清めていた。


 本堂の裏手に地主神社がある。ここの桜を「田村」では「春宵一刻、値千金」と絶賛し、「熊野(ゆや)」は郷里の老母をしのびながら落花の中で舞った。謡曲では何回か登場する桜の名所で、今は「恋占いの神」としても女性に人気があるようだ。


 田村麿は、奥州征伐の征夷大将軍となって活躍するなど、多くの武勲を挙げた。したがって田村麿にまつわる伝承やゆかりの地、戦勝祈願、創建といわれる寺社が東北を中心に各地にある。県内でも若穂の清水寺、松代の北信濃厄除大師の清水寺(共に「せいすいじ」)、山形村の慈眼山(じげんざん)・清水寺も、田村麿が奥州征伐で戦勝祈願した寺といわれている。


 だが、それらすべてに田村麿が関わった、とするのは不可能で、多くが別の武将との混同か、後世の創作とする見方が強い。ただ「文の菅原道真」「武の坂上田村麿」といわれたように、田村麿は武将のシンボルとして人気が高かったことを裏付ける。

(2011年8月6日号掲載)



写真=本堂の手前にある田村堂