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九州02  老松(おいまつ)〜いつしか枯死

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 〈あらすじ〉

 京都の西に住む梅津氏は、日ごろ信仰していた北野天神の霊夢に従って九州の筑紫安楽寺に参詣する。そこに老若2人の男が来て梅の木の囲いを始めたので、有名な「飛梅とはどれか」と尋ねる。

 2人は「神木を呼び捨てにするとは」ととがめながらも、菅原道真公を慕って飛んできた飛梅と、そばにあった老松のいわれなどを語って消える。若者は梅の花守、老人は老松の精だった。

 しばらくして老松の精が現れ、「はるばるやって来た客人をどう慰めようか」と言いながら、音楽を奏で、千代に八千代の君が代をたたえて、舞を舞ってみせる。

    

 謡曲「老松」の舞台は、菅原道真を祭る福岡県の太宰府天満宮(安楽寺)である。道真は若いころから学問に秀で、宮廷に仕えて右大臣まで上り詰めたが、出世をねたまれ、策謀により太宰府に左遷された。

 

 この時、道真は「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」の和歌を詠んだ。すると京の屋敷にあった紅梅が一夜にして飛んできた、と言い伝えられている。謡曲に登場する神木の飛梅だ。さらに、紅梅を追って一本の松も飛んできた。これが「追い松」転じて「老松」になったという。


 謡曲本によると、道真は天神として祭られ、紅梅と老松もそれぞれ末社として祭られてきたが、世間では紅梅だけが有名になり、老松の方は忘れられがちだった。そこで作者の世阿弥は老松の精を主役に立て、その威厳や御代のめでたさを表現しようとしたのだろう、と解説している。


 太宰府天満宮へは西鉄太宰府線の太宰府駅から徒歩5分、車だと九州自動車道太宰府インターから15分ほど。広大な敷地に重文の本殿はじめ宝物殿、絵馬堂、楼門など多くの建物があり、周辺に6000本もの梅が植えられている。


 本殿に向かって右側に、垣根に囲われた神木の飛梅があった。樹齢1000年以上といわれる今も、すべての梅に先駆けて清そな花を咲かせるという。老松はいつの時代か枯死してしまい、世阿弥の願いもむなしく、今は謡曲の世界だけに生きている。


 道真は配所に2年、貧しい生活に耐え、朝廷への誠心を貫いて59歳で生涯を閉じた。遺体を牛車で運ぶ途中、牛は安楽寺前まで来ると動かなくなった。道真の遺志とされて、ここに葬ったという。これが太宰府天満宮の創始であり、牛は「神牛」としてあがめられ、境内には石像が多い。


 太宰府天満宮は、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社となり、道真の霊廟(びょう)、学問の神として信仰され、毎年200万人を超える参拝者でにぎわう。最近、目立つのは韓国からの観光客だ。釜山-博多間が高速船で結ばれてから急に増え、参道の土産店にはハングル文字があふれている。


 私たちが訪れた時も修学旅行の韓国人中学生に交じって、観光客が名物の梅ケ枝餅やソフトクリームを食べていた。慶州あたりの観光地に紛れ込んだのでは、と錯覚するほどだった。 


(2008年10月25日号掲載)


写真=太宰府天満宮の本殿前にある飛梅