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静岡・神奈川02 千手(せんじゅ)〜美男美女の恋 

 〈あらすじ〉

 平清盛の五男・重衡は、一の谷の合戦で源氏に捕らえられ、鎌倉に護送される途中、一時、源頼朝の家臣に預けられた。頼朝はこの若者を哀れに思い、白拍子の千手の前を接待役として派遣していた。

 家臣と重衡が酒を酌み交わしていた時、千手がやってきて、重衡が願っていた出家の望みも絶たれたことを告げる。重衡に恋慕の情を抱いていた千手は、舞を舞い、琴を弾いて慰め、重衡も琵琶を奏でて別れを惜しむ。やがて夜が明け、警護の武士が迎えに来る。千手は涙で見送るのだった。


 平家物語の「千手前の事」を若干脚色した曲で、作者ははっきりしていない。重衡は「牡丹の花」といわれたほどのイケメン。千手は頼朝から12人の侍女のうち「一番」といわれた美女だった。悲劇的な出会いだが、1年近くも処分を待った。互いに恋心を抱くようになったのは、無理もなかった。

 頼朝は重衡を気に入り、助けたいと考えていた。が、重衡は清盛の命令で南都を焼き討ちし、東大寺大仏や興福寺などを焼き、多くの僧を殺した。奈良の宗徒にその恨みが強く、重衡は奈良で斬首された。29歳だった。これを知った千手は、平家物語では信濃国善光寺で尼になって弔ったとある。残念ながら善光寺にはそうした形跡は見当たらない。


 千手の墓は静岡県磐田市野箱の長野地区にある。千手は重衡の死後、先輩格の熊野御前を頼って、この地にやってきた。そして3年後、24歳の若さで没したという。千手が住んだことから、この地は「白拍子」と呼ばれ、その名は現在も隣町に残っている。

 地元に「千手を考える会」があり、会長の山内武治さん(82)に取材を申し込んだ。山内さんは私を長野地区の者と思っておられたが、JR磐田駅で会って、信州の長野市からやって来たと知って驚かれた。

 奥さんの運転で案内していただいた。駅から南へ7、8分の所に千手寺があり、千手が拝んでいたという仏像があった。住職がいない無住寺だ。寺の近くに千手の墓があり、小さなお堂に納められていた。山内さんが市議のころ周辺を整備し、地元の千寿酒造がお堂を新築したという。

 10分ほど離れた前野地区の神社横に、「熊野」で登場する侍女・朝顔の墓もあった。2人の仲を取り持ったのが朝顔で、ここで没したと伝えられる。


 長野地区では毎年、千手の命日の4月25日前後に供養祭を盛大に行っている。「千手の手まり歌」も作られ、長野小学校の子どもたちに歌い継がれている。

 10年ほど前、千手が生まれた静岡市の手越の里を訪れたことがある。ここでは手造りの千手の石像を建て、祭っていた。

 なぜ千手はこうも愛されているのか。「千手は地元が生んだ天下一の美女。いつまでも後世に伝えていきたい」と山内さん。千手の前は今もゆかりの地で息づいていた。

(2009年10月17日掲載)


写真:千手の前の墓を納めたお堂

 
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