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京都03 東北〜梅花と和泉式部

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 〈あらすじ〉

 旅僧が東北院の今が盛りの梅に見とれていると一人の女が来て、その梅は和泉式部が植えたもので「軒端の梅」と名付けて大事にしていたと教え、「私は梅の主」と言って姿を消す。僧が読経していると、正装した和泉式部の亡霊が現れ、和歌の功徳や東北院のことなどを語って消える。同時に僧は夢から覚める。

  

 和泉式部は平安時代中期の歌人。女房(位の高い女官)として、一条天皇の皇后・上東門院(藤原道長の娘・彰子)に仕えた。才気あふれた情熱的な和歌が多く、当時、輩出した歌人の中でも傑出していた。ただ夫以外に恋愛遍歴が多く、同僚の紫式部はその日記に「文章や和歌は素晴らしいけれど、けしからぬ方」と書いている。


 もっとも謡曲「東北」の中の和泉には、こうした多情な姿はない。色香も匂う梅花と清楚な和泉を対比させ、気品の高い作品となっている。和泉の亡霊は道長の読経を聞いて「門の外 法の車の音聞けば われも火宅を出でにけるかな」と詠んだ。今その通りに火宅(悩み多い現世)から抜け出して「歌舞の菩薩」になった-と語るのだった。


 謡曲の舞台である東北院は、現在、左京区の真如堂の北にある。白壁や屋根が崩れかけた粗末な無住寺だ。境内に梅の老木が1本。ここに植えられた3代目の「軒端の梅」だ。腐敗してきたが、2008(平成20)年秋の修復でよみがえり、今春もかれんな花を咲かせた。


 院の正門前に謡曲史跡保存会の駒札がある。同保存会が1980年に立てた第1号の駒札である。


 今の東北院は、むろん平安時代のものではない。当時は京都御所の東側に広がっていた法成寺の東北にあり、それから「東北院」と呼ばれていた。上東門院がここに居住され、和泉も一室を与えられて仕えた。その後、何回か火災に遭い、江戸の元禄年間に現在地に移ってきたという。


 旧東北院の界隈には、当時をしのぶ史跡は見当たらない。ただ謡曲に「悪魔を拂う雲水の」とある井戸跡が、紫式部が源氏物語を執筆したという蘆山寺の裏庭にある。


 さらに同寺から少し離れた府立鴨沂(おうき)高校のグラウンド裏に「従是東北 法成寺址」と刻んだ小さな石塔がある。案内板によると、寺の遺構は見つかっていないが、平安中期の瓦が出土しているという。


 グラウンド内を眺めた。かつて公家や女房が行き交ったであろう場所で、高校生たちがサッカーに夢中になっていた。

(2011年9月3日号掲載)



写真=東北院の「軒端の梅」



 
謡跡めぐり