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九州03 藍染川(あいそめがわ)〜残った梅壺碑

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 〈あらすじ〉

 京都で修行していた太宰府の神主が、梅壺という京娘と契りを結び、梅千世をもうけたが、筑紫の故郷に帰ってしまう。やがて梅壺は成長した子を父に会わせようと、はるばる太宰府にやって来る。

 そして宿のあるじに手紙を託したところ、あいにく神主は不在。神主の妻が手紙を読んでしまい、「対面できない」と、つれない偽りの返事をする。梅壺は悲嘆にくれて近くの藍染川に身を投げ、梅千世も後を追おうとする。

 そこに神主が通りがかり、梅壺の遺書からすべての事情を知った。親子の名乗りを上げ、梅壺をふびんに思って懸命に祝詞をあげる。天満天神が現れ、梅壺を生き返らせてくれた。

  

 藍染川は逢染川、想川、思川ともいわれ、後撰和歌集など古歌にしばしば登場している。謡曲はその歌にまつわる伝説から作られた。場所は福岡の太宰府天満宮の近くにある光明禅寺。藍染川はその寺の前を流れる幅1メートル足らずの小さな川だ。むろん、主人公の梅壺が身を投げたというほどの広さも、深さもない。が、寺から西鉄太宰府駅に向かって少し下った川の中に、梅壺が生き返ったという「梅壺侍従蘇生の碑」が立っている。


 光明禅寺は鎌倉中期の1273(文永10)年に創建された臨済宗の禅寺。九州最古といわれる枯山水の庭が美しい。前庭は石を光という字に配した「仏光石庭」、奥庭は青苔(コケ)で陸、白砂で大海を表現した「一滴海庭」。紅葉とシャクナゲも見事で、地元では「苔寺」の名で親しまれている。太宰府天満宮だけでなく、時間があったら立ち寄りたい名刹だ。


 謡曲では、神主にあてた梅壺の遺書に「せめて息子を出家させて、養ってほしい」とある。そんなことから梅千世は長じて名僧となり、この光明禅寺を開祖したとの説もある。


 ところで梅壺の碑は一時、消されようとした。2005年秋、太宰府天満宮に隣接して九州国立博物館が建設された。その際、太宰府駅に通じる藍染川沿いの小道を散策路として拡張することになり、沿道の用地買収と併せて、川を暗渠化(あんきょか)する計画が持ち上がった。

 

 だが、当時の西日本新聞によると、川沿いの笹垣のあちこちに、期せずして「語り継ぐ藍染川の水清く」「せめてもの残してください想い川」などと書かれた短冊が飾られ、市民の間に保存を訴える声が沸き起こってきた。市は仕方なく、梅壺の碑を中心に約15メートルの区間の暗渠化を見送ったという。

 

 実は私は、この梅壺の碑を見落としてしまった。時間的な制約の焦りもあって、寺から国立博物館までの上流ばかりを探し歩いて見当たらず、改良工事で埋めてしまったと思い込んでしまった。帰ってから太宰府観光協会に問い合わせてみると「碑は玉垣に囲まれ、大事に保存されています。場所は数十年変わっていません。ご確認のため、ぜひまたお越しを」との返事が返ってきた。

 藍染川は一回だけの出会いでは、思いが届かないようだ。


(2008年11月1日号掲載)


写真=光明禅寺の前を細々と流れる藍染川