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京都04 誓願寺〜新京極の中央に

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 〈あらすじ〉

 一遍上人が誓願寺で「60万人決定往生」の御札を広めていると、一人の女が「60万人以外の者は極楽往生できないのか」と尋ねる。上人が「60万人とは4句の経文の頭文字をとったもので、数ではない」と答えると、女は安心して「誓願寺の正面の額を南無阿弥陀仏の6字に替えてほしい」という。上人が6字に替えると、「歌舞の菩薩」となった和泉式部の霊が現れ、誓願寺の縁起や念仏の功徳などを語って舞う。

    

 誓願寺の縁起を典拠にした謡曲で、前回の「東北」の姉妹編ともいえる。同寺のパンフレットによると、恋に明け暮れた和泉式部も、娘の小式部に先立たれるなどで無情を感じ、播州の書写山の高僧を訪ねた。すると「石清水八幡宮に参るべし」と言われ、そこでさらに「誓願寺で祈るべし」と告げられてやって来た。ここに参籠して念仏を唱え、女人往生の悟りを開いて尼僧になった、とある。


 誓願寺は天智天皇の飛鳥時代の創設。平安遷都とともに京都に移り、幾多の大火に遭って現在地の中京区新京極に落ち着いたのは、豊臣秀吉が天下を平定した時代の1585(天正13)年。当時は6500坪の敷地に13の小寺や七堂伽藍、三重塔を抱えた大寺だったという。


 今の誓願寺は新京極商店街の真ん中にある。規模が縮小されて、かつての面影はない。本堂は1963(昭和38)年に鉄筋コンクリートで建造されて、内部も広く明るい。古刹というより、モダンな式場といった印象が強い。


 表門の入り口に風変わりな塚がある。和泉ゆかりの「扇塚」だ。謡曲で和泉が「歌舞の菩薩」と謡われたことから、誓願寺は「芸道上達の祈願寺」となり、人々は仕舞や舞踊で使った扇を奉納するようになった。本堂脇の壁に色とりどりの扇が飾ってあり、和泉をしのばせる華やかな雰囲気を醸し出している。


 誓願寺から新京極通りを少し下ったところに、和泉の庵室跡といわれる誠心院がある。間口が商店に挟まれて狭く、注意しないと通り過ぎてしまう。


 境内に一歩踏み込むと内部は広く、静かだ。ここに和泉の墓がある。何歳まで生きたか定かではないが、1313(正和2)年に改修建立されたとあり、高さ4メートルもある立派な法篋印塔(ほうきょういんとう)がある。本堂前には「軒端の梅」が、ここにも植えてあった。まだか細く、東北院の老木に比べて見劣りした。

(2011年10月1日号掲載)



写真=誓願寺の正面



 
謡跡めぐり