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滋賀・京都04 橋弁慶(はしべんけい)〜牛若丸と対決

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 〈あらすじ〉 武蔵坊弁慶が満願の日に五条の天神に詣でようとすると、従者が「五条の橋に、早業で人を切りまくる不思議な少年が出没しているから、今夜は行かないように」と忠告する。弁慶は思いとどまろうとするが、「聞き逃げは無念、退治してやろう」と出掛ける。

 弁慶がよろい、なぎなたで身を固めて橋で待つと、薄衣をまとった牛若丸が通り掛かる。弁慶は女と思い、見過ごしたところ、牛若丸はなぎなたをけり上げて戦いを挑む。激しく戦ったが、弁慶は牛若にほんろうされて勝てず、降参する。互いに名乗り合い、主従の契約を結んで別れる。


 謡曲「橋弁慶」の舞台である五条大橋に行ってみた。京都市の目抜き通りの河原町五条交差点付近で車を降り、国道1号線(通称・五条通り)の横断歩道の真ん中にある小公園(緑地帯)に入る。近づいて見ると、噴水の向こうに京人形風に造った牛若と弁慶の石像があった。双方とも童顔で、牛若は笛を持って飛び上がり、弁慶は短いなぎなたを持って見上げている。いささか漫画的で迫力のない一騎打ちの場面だ=写真。それでも「京の五条の橋の上、大の男の弁慶が...」と、忘れかけていた童謡が浮かんできた。年配者なら誰でも知っている、かつての文部省の小学唱歌だ。


 この鴨川に架かる五条大橋。実は平安時代には、ここから380メートルほど上流の今の松原橋辺りにあった。当時は清水寺への参詣の橋で、同寺が管理し、渡る人に寄進を求めていたとされる。それを変えたのが豊臣秀吉だ。天正18(1590)年、通りと一緒に橋を現在の地に移してしまった。したがって、今の五条大橋は義経と弁慶の出会いの場所ではない。その橋も何回か架け替えられ、現在の橋は昭和34(1959)年に建造された。長さ67メートル、幅37メートル。京都市の動脈を支えている。2年後に地元の青年会議所が京人形師に依頼して像を造り、寄贈した。


 ところで、この謡曲は「あらすじ」にあるように、牛若が辻斬りを働き、弁慶がそれを退治に行くという物語の設定だ。どこかおかしい。そこで謡曲の原本である義経記を見ると、「弁慶洛中に於て人の太刀奪い取る事」の項がある。要約すると、太刀1000本を奪い取る願を掛けた弁慶が、あと1本というところで、五条大橋を通り掛かった牛若と遇う。弁慶は太刀を奪おうと襲ったが、飛鳥のように飛び回る牛若に勝てない。翌日、清水寺で再勝負を挑んで、また負けてしまう。降参して家来になった、とある。この方が子どものころから聞かされてきた物語に近い。


 謡曲では、どうして牛若を辻斬り魔に仕立てたのか。母・常盤御前が父の敵である清盛の側室になり、自身も清盛の息子たちにいじめられた。そんなことから心がすさみ、狼藉を働くようになった、との推測もある。が、「船弁慶」「安宅」など義経と弁慶が登場する一連の謡曲でも、弁慶を主役に据え、義経は「子方」「トモ」といった脇役に置かれている。


 悲劇の義経に同情し、えこひいきをすることから「判官びいき」という言葉が生まれた。室町時代の能作者には、むしろ「弁慶びいき」が強かった。そんな思いがしてならない。


(2007年10月13日号掲載)


 
謡跡めぐり